「見捨てられる国と人々の悲劇」が作り出される構図
グローバルサウスの皆さんも、それぞれ国内政治的には問題を抱えているところが多いとされていますが、そこには互いに目をつぶり、それぞれの実利に基づいて判断する傾向があるため、自国が直接的に影響を被らない案件にはあまり真剣に首を突っ込んではきません。
この特徴は、紛争の調停役という観点からは望ましい部分もあるのですが、調停・仲介を行う際には、対象国や案件に対してやはり何らかの“関心の存在”が必要ですので、正直なところ、紛争調停の観点からはあまり期待できません(インドの場合、もしロシア的に「アフリカ諸国にはインドから渡ったインド系の同胞がたくさんいるのだから、同胞を保護するために介入する」という強引な観点を取るのであれば積極介入もするでしょうが、実際にはインドはそこからは距離を置いているようです)。
このような戦略的無関心と選択的関心の構図が、今の世界の分裂の構図の一因となり、“見捨てられる”国と人々の悲劇を作っているのではないでしょうか。
コンゴでは600万人の死者が出ながらも30年にもわたって紛争が続いているのを黙認し、武装勢力が割拠し、血で血を洗う戦いを繰り返している傍らで、豊富に産出されるレアメタルの争奪戦を繰り広げる欧米諸国と中国の存在があります。
時折コンゴの案件は国連安保理の場にも出され、継続する武力紛争への懸念が述べられ、状況の改善と即時停戦が叫ばれるのですが、実質的な行動もとられず、またサポートもありません(私も何度か紛争調停の任でコンゴに赴きましたが、あまりにも当事者が多く、その聴取と調整は困難の度合いを極め、実質的には調停不成立となってしまい、今も継続案件です)。
シリアの案件は、アサド政権の蛮行を糾弾する間は関心が続いていましたし、欧州では人道支援の拡大が叫ばれましたが、欧州国内での治安状況の悪化や、生活環境の違いなどから、欧州に押し寄せ、受け入れてもらったはずの難民が迫害対象になってしまうという事態が進むにつれ、トルコとの外交的なカードにも使われましたが、シリア問題から目を背けるという政策的選択が欧州各国で行われたがゆえに、50万人を超えるとされる死者を生む悲劇は急速に関心を失いました。
それはアフガニスタンも、イエメンも、スーダンも、イラク、そしてミャンマーも同じです。
どこかで紛争が起こり、悲劇が報告される度に関心が高まり、支援の声も挙げられますが、次の何かがどこかで起きると(ほとんどの場合、自国の安全保障には関係がない)、そのことを忘れて、次の新しい危機に熱狂する。
この傾向は、ロシアによるウクライナ侵攻、ハマスによるイスラエルへの同時攻撃と人質事件、それに対するイスラエルからの苛烈な報復とガザ地区における非人道的な攻撃へと移行しているのが分かるでしょうか。
今、世界各地でイスラエル軍による無差別攻撃に反対する抗議デモが起こり、同時にハマスによる凶行を非難するデモも起きていますが、ところであれほど激しく行われていた“ロシアによるウクライナ侵攻に対するデモ”や“Stand with Ukraine”の集会はどこにいってしまったのでしょうか?
対ウクライナ熱は残念ながら冷めてしまっているようです。
その証拠にゼレンスキー大統領とウクライナに対する各国政府の関心は著しく低下しています。
イスラエル・ハマスの問題だけが理由ではなく、ウクライナの反転攻勢が期待はずれだったことや、ロシアが想像以上に強いまま残っていること、反ロシア包囲網が思うように形成されておらず、親ロシアまたは中立的な立場を保つ国々が多いこと、そしてウクライナの後ろ盾となった国々が、ウクライナ国内にある完全なる3分割の構図を理解しきれていなかったことなどがあります。
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