日本の半導体産業を没落させた5つの要因
理由としては、様々な要素が複合しています。
「バブル崩壊以降は、徐々に日本国内の個人金融資産が高齢者の老後資金が主体となって行き、リスクを取るようなマネーがなくなっていった」
「高度なオーダー品を製造するには、ユーザーとの緻密で息の長い共同作業が必要だが、英語でそうした分野をカバーする専門人材が不足していた」
「国際的に競争力のある人材も、日本国内では年功序列の横並びの賃金体系に束縛されるので、若手を中心に人材がどんどん流出した」
「大手の電機メーカーなどを中心に、経営陣と現場の距離が広がり、迅速な判断ができなくなっていった」
「当初は、半導体製造機器の分野で圧倒的な強さを誇っていたが、中国勢、欧州勢などに押されてこちらの分野でも地位が低下した」
とにかく、こうしたマイナスのトレンドが長く続いた結果として、現時点では高度なオーダーメードの最先端の半導体という分野では、日本は全くの不振に陥っています。
「TSMC第2工場」という方針転換は、日本の実力を値踏みした結果
では、どうしてTSMCは当初は日本進出にあたって、この「最先端」の工場は対象外としたのかというと、これは「衰えたとはいえ、往年の世界のトップランナー」である日本に「最先端」を持っていくのは怖いと考えていた可能性があります。
怖いというのは、要するに製造のリアルなノウハウを日本人の技術者や労働者に教えると、「真似され」て、やがて日本が往年の実力を復活させて牙をむいてくるということを恐れたのだと思います。
にもかかわらず、結局のところTSMCは「第2工場」の建設を決め、こうした「最先端半導体」の製造にも乗り出すと表明しました。このニュースは、日本で大きく報じられ歓迎がされました。
では、一度は渋ったのに、どうして「第2」で最先端をやると決断したのかというと、
「もう日本には真似をする力はない」
という判断があったのだと思います。
TSMCは、多くの基幹エンジニアは台湾、中国、アメリカなど全世界から異動もしくは採用して配置する、その一方で日本人も経験者や若手を大勢採用するのだと思います。
それでも、最終的にノウハウを真似されて改めて「自分たちに挑戦してくるだけのパワー」はもう残っていない、したがって安全だという判断をしたのだと考えられます。
ところで、今回、第1工場の開所式に合わせて、この「第2」にも政府から補助金が出ることが発表されました。その額は、7320億円、第1工場より更に多額となっています。
仮に、TSMCから「日本にはノウハウを真似するのは無理」という「ナメられた」本音が見えたとして、この7320億円は「間抜けな捨て金」になるのかというと、それは少し違うと思います。









