89年には米国史と連動するような展開で青年の存在意義を問う『ムーン・パレス』を発表する。
市民の奇跡の物語を集め、編集した『トゥルー・ストーリーズ』には、ため息をつく物語ばかりが収められている。
オースター研究の上智大の下條恵子は「人間の存在とは何か。これはオースターの作品に共通している特徴でもあります。自分のことを知っている人が誰もいなくなった社会で、自分が自分であることをどうやって証明するのか。名前は自分の存在の証明となりうるのか。彼の作品は、何によって人はその人たらしめられるのかを問い続けています」(上智大ホームページ)と分析する。
「言葉とは何か。これは時代を超えて文学が取り組んできた問いでもあります。彼は、そうした普遍的なテーマに挑み続けている作家」(下條氏)、オースター。
文学として評価を語れば堅苦しいが、前提として面白く、可笑しさが散りばめられている愛嬌がなんともいえないのだ。
大衆文化や野球、音楽の描写も秀逸だ。
『ミスター・ヴァーティゴ』は空中を歩ける少年を描いた寓話だが、それはどこか現実感がある。
この物語の影響か、私は何度も自分が空中を歩いている夢を見ることになったが、これは物語の末尾にこう書かれているのが影響したのかもしれない。
胸の奥底で、俺は信じている。地面から身を浮かせて宙に漂うのに、何も特別な才能は要らないと。
物語によると、空を漂うためには「まずは自分を捨てる、それを学ばなくてはいけない。それが第一歩であって、あとのことはすべてそこから出てくる」そうだ。
最後に誰もが空を舞えるかのように、「そう、そんな感じ」で締めくくられている。
その一言は私の希望であり続けている。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
image by: lev radin / Shutterstock.com









