その理由は、DXの本質的な解釈を取り違えて、それまでのハードウェア中心の情報化やデジタル化と同一視していた部分が大きかったからではないかと思います。DXは、単なるハードウェアや技術の話ではなく、我々の考え方や行動パターンの変革を伴うものですが、そういう「意識改革」の側面が十分に理解されてこなかったのではないかと思います。
一つ二つ具体的な例を挙げると、たとえば国が推進するマイナカードが全くうまく行っていないことなどはその典型です。コロナの時に、感染状況を把握するために全国の保健所が未だに電話やファックスで情報収集していることが露呈しました。それもきっかけとなり、国もようやくデジタル後進国であることを自覚して最初にやったことが「デジタル庁の新設」でした。縦割り行政、箱物行政の延長線上にまた新たな縦割り省庁を一つ増やして、家賃の高いビルにオフィスを構えて何百人もの人を集め、トップにはデジタルをまるで理解していないのに知ったかぶりをして威張り散らすタイプの政治家を据えました。初代デジタル担当大臣の平井卓也氏にしても、二代目の河野太郎氏にしても、トップダウンの恫喝命令型、強行突破型という昭和型の人材です。
しかも、仕事の進め方は従来からのITゼネコン体質がそのままで、地方には、J-LIS(地方公共団体情報システム機構)という新たな中抜き団体が新設され、NEC、富士通、東芝、日立といったいわゆる電電ファミリーの大企業から大勢出向しています。
行政のデジタル化は急務ですが、これでは最初からボタンの掛け違いもいいところです。そもそも行政のデジタル化とは何か、あるべき姿はどういうものか、現状からあるべき姿に近づけていくためにはどのような道筋をたどるのが効果的なのか、というようなことについての共通認識が構築されていません。
マイナンバーとマイナカードは別物ですが、マイナカードについては、何故か最初からプラスチック製のカードありきからスタートしていて、上記のトップダウン恫喝命令型の人たちの独善的かつ強行突破的な手法で「無理を通せば道理が引っ込む」という最悪のやり方がまったく見直されることなく続いています。利便性も安全性もわからないものをポイント等の奨励金を出して強引に普及させようという手段は単なる税金の無駄遣いです。
別の例を挙げると、日本人の美徳でもある「忍耐強さ」や「もったいない精神」がDXの阻害要因になっています。労働集約的な作業や長時間労働を厭わず、その背景には「もったいない精神」が影響している場合もあります。減価償却が終わったような古い仕組みやシステムでも、使える限りは大切にして使い続ける、という姿勢が、結果的に労働集約的な作業や長時間労働をもたらしていても、そのやり方を続けて何とかこなしているうちにいつしか現状変更を嫌う体質が出来上がってしまっている、というようなことです。
しかし、DXは、ルーチン化しているような労働集約的な作業を見つけたらそれはコンピュータに任せて「如何に自分が楽をするか」という視点がなければ進みません。
さらに言えば、日本は、敗戦というどん底から、before internet時代に高度成長期を経て米国に次ぐ世界第2位の経済大国に登り詰めるという大きな成功体験を誇る国です。その自信が過信になると同時に、当時創り上げた金融から交通に至るまでの優れた社会インフラ(現金決済のための銀行支店網やATM網、公共交通機関の整備、etc.)が完備していて、特段after internet時代の変化に合わせなくても不自由を感じなかった、という背景もDXの阻害要因になってきたと言えます。結果的に、ゆでガエル状態で衰退が進み、逆にbefore internet時代に遅れていた中国や東南アジアなどがafter internetのデジタル時代にリープフロッグして一気に抜かれてしまった、ということです。
この記事の著者・辻野晃一郎さんのメルマガ