「僕ら、なんか悪いことしたんですか?」
馬場氏は自民党の堺市議だったころ、党大阪府連青年局の活動を通じ、自民党府議、松井一郎氏と親交を深めた。
しかし、2009年9月の堺市長選で二人は対立関係となる。
現職の木原敬介市長を選対の責任者として支える馬場氏に対し、自民党を飛び出していた松井氏は当時の橋下知事とともに対抗馬の竹山修身氏を担いで支援した。
2008年2月に府知事になった橋下氏の人気は高く、堺市長選の応援演説には多くの人々が集まった。
選挙戦最終日。堺東駅前での木原陣営の演説が終了した後、同じ場所で竹山陣営が演説を行い、橋下氏がボルテージをあげて弁舌をふるうと、聴衆で膨れ上がった会場は熱気に包まれた。
演説が終わり、帰ろうとしたとき、近くのバス停に座っていた馬場氏が鬼の形相で松井氏に近寄ってきた。
「僕ら、なんか悪いことしたんですか?」
「悪いことって・・・僕らは堺のために市長を代えようとしただけや」
「なんでここまでやられなあきまへんの?」
「ここまでって、やってるうちにこうなったんや。だから最初に馬場ちゃんに、やったらって声かけたやんか」
「あんなときに声かけられてもやるわけありません!」
馬場さんは本気で怒っていた。まあ、怒って当然だろう。この堺市長選挙は馬場さんとのあいだに、しばらくしこりを残すことになった。
(松井一郎著「政治家の喧嘩力」より)
松井氏は木原市長の対抗馬としてまず馬場氏に出馬を打診した。馬場氏はそれを断った。当時すでにベテラン市議として議会のまとめ役の立場にあったため、自民党に反旗を翻してまで堺市の政治を変えたいという気にはならなかったのだろう。
だがその後、松井氏の粘り強い説得により、馬場氏は「大阪維新の会」の立ち上げに加わった。
ただ、想像するに、それはあくまで松井氏との人間関係に基づく決断だった。「あかんかったら政治家辞めてコックに戻ります」(同)と自分を納得させ、慣れ親しんだ自民党への断ちがたい愛着を抱いたままの離党だった。









