■知的なものへの憧れ
もちろん、そんなネガティブな話をしたいわけではありません。
「知的生活」という言葉に憧れが生まれないにしても、「知的なもの」への関心はなくなっていない。そう感じるのです。
たとえば、ネットで人気の「ひろゆき」さんは、既存の知的な権威を悉くあざ笑うような態度をとり、対話するのではなく論破するという“アカデミック”の理念(あくまで理念です)とはほど遠いスタイルを採用しています。その彼が人気を博していること自体、かつての「知的生活」が魅力を失っている証左でもあるでしょう。
一方で、その人気はどこから生まれているのかと言えば、やはり彼の「頭がよい」ことでしょう。少なくとも、そのような印象を生み出す所作が、彼の権威を生み出しているのだと想像します。言い換えれば、彼は学者的な形とは違う「頭のよさ」を持っていると思われているから人気なのです。
非常に大きくグルーピングすれば、そこには「知的」なものへの憧れがあるのだと言えそうです。
■入りくんだ憧れ
もう少し踏み込んでみましょう。
既存の知的な権威を攻撃している、「頭がよさそう」な人を求めるという心理は、やや入りくんでいます。
本当に「知識」や「知性」を嫌悪しているならば、論説で相手を打ち負かした(かのように見える)人を称賛したりはしないでしょう。そうした人を称賛するということは、どこかしら「知識」や「知性」に価値を見出しているわけです。しかし、称賛を向けている対象は既存の知的な権威を攻撃しています。
このねじれは、どのように捉えられるでしょうか。
安直に考えれば、知的なものへの憧れはあるが、しかし「既存の知的な権威」がその憧れを成立させてくれないので、それを攻撃する「知的な人」を称賛する。こういう構図が見立てられます。
つまり、知的なものへの憧れはあるにせよ、まっすぐそれを打ち出せないもどかしさが現代社会にはあるのではないか、という仮説が出てくるわけです。
■漂う無念さ
別の方向からも考えてみましょう。
最近、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本が話題ですが、このタイトルには「本は読めてしかるべきだが……」という前提がほのかに漂ってきます。おそらくこの本に興味を持つ人も、読めてしかるべきなのにそうなっていない状況への憂いや怒りを持っているのでしょう。
遡れば、2020年に大ヒットした『独学大全』も、サブタイトルは「絶対に『学ぶこと』をあきらめたくない人のための55の技法」となっています。ここにも、何かを為したい気持ちがあるのに、それがまっすぐには成し遂げられないという心境があることがうかがえます。
同様に、近年は「学び直し」というフレーズを見かけることが増えてきました。リスキリングやリカレント教育が企業や行政で話題になっている影響があるのでしょうが、「学び直し」というフレーズには、どこかしら「やり直し」のようなまっすぐには為せなかったものをもう一度取り返す、という雰囲気を覚えます。
例証としては弱いですが、それでもこの社会において「知的なものへの無念さ」が生み出され続けているのではないかと疑問を持つには十分でしょう。
何かしら為したいことがある。でも、それが何らかの要因によって為せない。だからこそ、そのための解法を求める。そんな気持ちが一定の人に共有されているのかもしれません。
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