『グラディウス』に浮気したら『ばっちゃん』が死んじゃった
地元の子どもたちで賑わっていたはずの尼崎の駄菓子屋ゲーセン『ばっちゃん』だが、具体的にいつ消えてしまったのか定かではない。伊丹市に住んでいた小学生のAさんにとって、放課後に隣町まで頻繁に通うのは自転車といえども難しかった。
「もともと、自宅から楽に通える距離の『塚口さんさんタウン』に、本格的なゲームセンターがありました。ラーメンとソフトクリームのにおいが充満していた記憶があります。ただ、料金設定が1プレイ100円と高かったこともあり、私はわざわざ20円の『ばっちゃん』に遠征していたんですよ。
ところがある日、『さんさんタウン』のほうに『グラディウス』が入荷されて、もう一気に心を奪われてしまいました。レーザーの美しさ、オプションの謎にかっこいい挙動、逆火山ステージ4面の芸術性、音楽の素晴らしさ。まさに神ゲーでした。電源を入れたときに流れる曲も神々しくて、日曜朝イチで聴きにいったり。大学生くらいのお兄さんの上手いプレイを参考に、ひたすら1コインクリアを目指すようになりました。1周目攻略だけで数ヶ月はかけた記憶があります。
そうするともう、『ばっちゃん』で遊んでいたゲームはなんだか古臭いように思えて、まったく行かなくなってしまいました。『さんさんタウン』には当時すでに『ゼビウス』や『パックランド』があったし、その後『スペースハリアー』や『バブルボブル』など最新ゲームが入ってくるのも早かった。それでいて店が広いので、お気に入りの『マリオブラザーズ』もちゃんと置かれていましたからね」(Aさん)
Aさんの“浮気現場”は、尼崎市の阪急塚口駅前『塚口さんさんタウン 3番館6階 憩いのまち』内にかつて存在したゲーセン。『グラディウス』は1985年5月に稼働開始したコナミの横スクロールシューティングゲームで、「電源を入れたときに流れる神々しい曲」は、コナミ基板の「バブルシステム」が起動する際にウォームアップとして流れる「モーニングミュージック」だろう。
1985年2月の改正風営法施行とは約3ヶ月のタイムラグがあるものの、『ばっちゃん』はこの時期に“経営危機”に陥ったのだろうか。
アーケード版の『グラディウス』は、翌年ファミコンで発売された移植版と比較して難易度がかなり高かった。全体バリアではなく前面バリアのためフル装備でも常にミスの可能性がつきまとい、「上上下下左右左右BA」のコナミコマンドで“ズル”をすることも当然できない。一度やられて装備をすべて失ってから立て直すテクニックは「復活パターン」と呼ばれ、特に「高次周4面復活」は多くのシューターの憧れになっていたという。
そんな『グラディウス』攻略に、Aさんも小学生ながら懸命に取り組んだ。だが、半年以上にわたって放課後のほとんどの時間を費やしたにもかかわらず、2週目の4面でついに詰まってしまう。どうやっても超えられない壁にぶつかって、そこでふと思い出したのが『ばっちゃん』だった。
「小学生にして“2-4到達”は、大学生のお兄さんも褒めてくれた“偉業”でした。かといって、これ以上先の面に進めるイメージもない。お小遣いも厳しかった。そこでもう一度『ばっちゃん』に行こう、と思いました」(Aさん)
そろそろ『グラディウス』も入っている頃かな。あの店で1コインクリアできる奴なんておれくらいだろうし、高みを見せつけてやるか――そんなことを考えながら、Aさんはひさしぶりに自転車で“遠征”を試みた。子どもの時間感覚では昔なじみの店に“凱旋”するような気持ちだった。だが、そのときにはもう『ばっちゃん』は跡形もなく消えていた。店はアパートごと取り壊されており、一戸建て住宅が建築中だったという。
「近所の公園で同世代に“聞き込み調査”をしたところ、店番のおばあちゃんが亡くなったらしいとか、いやあのおばあちゃんは実は地主で、結婚した息子のために家を建てるんだとか、いくつか噂話は聞けましたが、どれも真偽不明の推測ばかりでした。『グラディウス』に浮気している間に『ばっちゃん』とはもう二度と会えなくなってしまいました」(Aさん)









