幻の駄菓子屋ゲーセン『ばっちゃん』は本当に実在したのか?1プレイ20円、マリオではなくマサオ…昭和の小学生を魅了した尼崎の社交場

2024.06.07
by 東山ドレミ
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木造アパートの1階。玄関を開けると駄菓子に埋もれた店番のおばあちゃんが座っていて、部屋の中はアーケードゲームで埋め尽くされていた――元ゲーム少年のAさんが今もその影を追う「幻の駄菓子屋ゲーセン」は、本当に実在したのだろうか。

白昼夢か現実か?ネットでは情報が見つからない幻の駄菓子屋ゲーセン

「駄菓子屋ゲーセンと言っても、店の軒先にゲームが1~2台置かれているような、よくある店構えとはぜんぜん違って。そのゲーセンは、木造2階建てアパートの1階角部屋がまるまる店になっていて、靴を脱いで部屋に上がると、中はアーケードゲームで埋め尽くされていました」

小学生の一時期に通った駄菓子屋ゲーセン『ばっちゃん』を懐かしく回想するのは、関西出身で現在は都内在住の40代後半男性Aさんだ。レトロゲーム好きのAさんによると、この店は1980年代半ば、現在の兵庫県尼崎市栗山町近辺に存在した“はずだ”という。

「私は昔からゲームが大好きで、行き付けだったゲームセンターがその後どうなったかをネットで調べることがあります。ほとんどの店が閉店してしまいましたが、それでも当時を懐かしむゲーマーたちの回想記や写真がたくさん見つかる。でも、この尼崎の『ばっちゃん』だけは、いくら探しても誰も何も言及しておらず、情報らしい情報がいっさい見つからないんですよ」(Aさん)

当時Aさんは尼崎市のお隣、伊丹市に在住。春休みに尼崎の叔父の家に泊まりに行ったさいに『ばっちゃん』を“発見”し、その後たまに自転車で“遠征”するようになった。店は尼崎市立立花小学校の徒歩圏内にあったと思っている。客の多くがこの小学校に通う子どもだったからだ。

だが、いつの間にか店は消えてしまった。親戚一家はすでに亡くなり、ネットでも手がかりが見つからない。「あんなにすごいゲームセンターだったのに、どうして誰も話題にしていないんだろう。ひょっとして自分は白昼夢でも見ていたんだろうか」と、ずっと気になっている。

本当に実在したかどうか不安になる幻の駄菓子屋ゲーセン。レトロゲームファンならずともちょっと面白そうだ。Aさんに詳しく話を聞くことにした。

木造アパートの一室がゲーセン、店番のおばあちゃんが玄関に鎮座

なにせ40年近く前の話だけに、Aさんの記憶も曖昧だ。だがもう少し手がかりがほしい。『ばっちゃん』は具体的にどんな駄菓子屋ゲーセンだったのか?

「外観はごく普通の木造アパート、いわゆる文化住宅ですね。店の看板は出ていませんでした。営業時間中は1階角部屋の玄関引き戸が半開放されていて、店番のおばあちゃんが駄菓子に囲まれて鎮座していたので、お店なんだなということは外からでもわかる。『ばっちゃん』は正式な店名ではなく、子どもたちの間の通称だったと思います。

ゲーム部屋は土足厳禁で、靴を脱いで部屋に上がり込むのがルール。部屋に入ると、むかって左側にテーブル筐体のシマ、右側にアップライト筐体のシマがあり、中央に小学生同士がギリギリすれ違えるくらいの“通路”スペースがあったように記憶しています。6畳間よりはかなり広かった印象ですが、もしかすると4.5畳くらいの数部屋をぶちぬいていたかもしれません。子どもの感覚なので正確な面積は不明です。

足の裏が冷たかったので、床はたぶん畳ではなく板張り。部屋の照明はいくつかの裸電球で、人の表情がギリギリわかる程度でかなり暗かった気がします。料金は1プレイ20円と安く、店番のおばあちゃんに脱ぎ散らかした靴を揃えてもらったり、手渡しで100円玉を10円玉に両替してもらったり…というシステムになっていました。自分の年齢やゲーム歴から、おそらく1985年(昭和60年)前後のはずで、子どもたちに人気の店だったのですが、それがなぜ潰れてしまったのか、いつの間に消えてしまったのか、いくら調べてもわかりません」(Aさん)

かなり具体的な情報だ。Aさんの記憶違いが含まれる可能性もあるが、いかにも子どもたちが好みそうな“秘密基地”。それが小学校の徒歩圏内にあり、おそらくは駄菓子売り場よりもゲーム機の床面積のほうがはるかに広く照明が暗かったということは、『ばっちゃん』は、1985年の改正風営法施行よりも以前に存在した店ではないだろうか。

このときの法改正でゲームセンターが風俗営業の1つに指定され、国の規制が強化された結果、『ばっちゃん』のような店を経営するのは難しくなったはずだからだ。

『ばっちゃん』の設置ゲームは1983年以前のものが中心

『ばっちゃん』では、どんなゲームが遊ばれていたのだろうか?各タイトルの稼働開始年を調べれば、店が存在した時期をさらに絞り込めるかもしれない。

「私を含む小学生たちが当時、よくプレイしていたのは『マリオブラザーズ』と『ギャラクシアン』、それに『ハイパーオリンピック』でしたね。特にマリオはやり込みました。それから、もっぱら見物専門でしたが『ジッピーレース』がやけに上手い不良風の、たぶん中学生が1人いたのも覚えています。店には全部で10台以上、ひょっとしたら20台近くゲームが置かれていた気もするのですが、他にどんなタイトルが稼働していたか……」(Aさん)

Aさんが記憶から絞り出した設置ゲームを、年代順に並べなおしてリストにしてみた。

  • スペースインベーダー(1978 タイトー)
  • ギャラクシアン(1979 ナムコ)
  • パックマン(1980 ナムコ)
  • ギャラガ(1981 ナムコ)
  • ペンゴ(1982 セガ)
  • ジッピーレース(1983 アイレム)
  • ハイパーオリンピック(1983 コナミ)
  • マッピー(1983 ナムコ)
  • マリオブラザーズ(1983 任天堂)
  • フリッキー(1984 セガ)

Aさんによると、『フリッキー』は「たぶん置かれていた気がする」程度。その他のゲームはいずれも1983年以前に発表されたタイトルばかりだ。他にもゲームはあったはずというが、『ばっちゃん』はやはり、1980年代前半~1984年頃にかけて存在した店である可能性が高いのではないか。

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