「中国主導の国際機関が既存の組織を脅かす」の行き過ぎ
マルチプレックス世界は当然にも「多国間主義」である。とはいえ、多国間主義にも「旧」と「新」があり、マルチプレックスに相応しいのは「新」の方である。
「旧」の方は、従来の米国中心の覇権秩序とワンセットというかその従属物のようなもので、例えば、ルーズベルト大統領が作った国連は、建前としては、地上に存在するすべての国が大小貧富に関係なく一国一票で参加できる超フラットな多国間主義の組織でありながら、米国はじめ第2次大戦の連合5カ国が常任安保理事国として拒否特権を与えられ、それを米国自身が最も頻繁に行使し(1986~1995年に米国24回、英国8回、フランス3回、ソ連・ロシア2回、中国0回。また1996~2012年に米国13回、ロシア7回、中国7回)、それでも意思が通らないと決定を無視したり分担金を滞納したりするので、実際には「米国中心の多国間主義」になっていると、本書は指摘し、さらに次のように述べる。
▼「新・多国間主義」は、市民社会運動の役割を重視し、これまでの国家中心ではない、もっと包括的な多国間協力のあり方を提示する。それは、米国のパワーや意志に頼らない「ポスト覇権」の多国間協力のあり方である。安全保障の分野では、「国家安全保障」もしくはNATOの基本原則である「敵に対する安全保障」という米国的な概念に対抗して「協調的安全保障」(もしくは欧州安全保障協力機構〔OSCE〕の「共有する安全保障」)という考え方がヨーロッパから生まれている。
▼加えて、ASEANが実行してきた多国間協力は、国際法的な縛りを意識的に緩くし、関係機関の対立を敢えて避けるという特徴があるのだが(ARFや東アジア首脳会議など)、これは国際法に基づく強制的規制を重視する米欧の多国間主義とは対照的である。
▼経済的分野でも、米国、そしてIMF、WTO、世界銀行などの米国主導の国際機関が推進してきた「自由貿易と市場原理型発展」という伝統的リベラルの考え方から離れて、平等性、社会的公正、富の分配に重点をおき「文化的多様性や社会活動を推進するような新しい方法」が今後の多国間主義に必要だという認識が生まれている。
▼例えば、感染症など健康・医療分野では、世界保健機構(WHO)中心の形から、世銀、各地の地域機関、NGO、そしてビル&メリンダ・ゲイツ財団のような民間組織が参加する、複雑な形態へと変化してきた。このようなNGOやネットワーク型の協力枠組みが増えていることに対して、主に欧米諸国から「国際関係全体を不安定にする」という懸念の声が出ているが、それは、伝統的な国際協力のシステムは、米国と西欧諸国の利益と権力維持に適するものだったからだ。
▼そして、新しい国際機関・制度の近年の目覚ましい台頭も分散化現象の要因と言えよう。BRICSによる「新開発銀行(NDB)」や「緊急時外貨準備基金(CRA)」、中国主導の「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」などが重要で、これを英『フィナンシャル・タイムズ』紙のギデオン・ラックマンは「イースタニゼーション(東方化)現象」と言っている。こうした中国主導の新しい国際機関が既存の組織を脅かすと見るのは行き過ぎで、むしろグローバリズムとリージョナリズム(地域主義)を「交差させる試み」と理解するのが適切である……。
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