教育行政側にとって「他人事」でしかないいじめ問題
本件では、宮城県教育委員会も「できる限りのことをする」とコメントしていることから、相応な対応がとられることであろう。
一方で、加美町教育委員会はおおよそ学校におけるトラブルを把握していたであろうし、十分な把握機能を有していたか甚だ疑問である。仮に、把握できる状態であったとしたら、加美町教育委員会自体も調査対象となろう。
しかし、現行のいじめ防止対策推進法では、第三者委員会の設置権限は「学校の設置者」となり、公立校の場合は管轄の教育委員会になるのだ。
つまり、第三者委員会の設置権限は加美町教育委員会となり、調査対象候補が第三者委員会を設置するという極めて歪な調査委員会が成立することになるのだ。
こうした事案はこれまでかなりの率で発生しており、自治体が常任と言える調査委員会をもっていれば、調査対象となる教育委員会直下の組織として調査委員会(第三者委員会)が調査を行ってきた。そうした組織が出す結論は真上の教育委員会対応を擁護したり隠蔽とも言える判断を下すことがあるから、首長が組織する「再調査委員会」が次に行われる事例が後を絶たない。
一方で、これら第三者委委員会が一切の忖度を捨て、教育委員会の対応を糾弾するケースがあるが、これはその委員が真っ当に判断したに過ぎず、そうした事例は少ないだろう。理由は簡単だ。そうした判断を下す空気を読めない委員は再任されることはまずないからだ。
本来であれば、法改正で立法直後から10年以上続く、この歪な構造を改正することが正義だろうが、これは未だになされていない。
結果のみみれば、教育行政におけるいじめ問題は、他人事であり、教育行政側からすれば、一定の言い訳さえ立てば、子どもたちがいじめを苦に自殺をしようが、ものすごく苦しんで再起不能になろうが、加害者が犯罪行為を黙認されこれを誤った成功体験として後に犯罪者となろうが、己の保身が優先できればそれでよい先送り事項に他ならない。
一方でこの問題を糾弾し、被害者側に立つような私のような存在は、目の上のたんこぶであり、メディアで発言しないようにしたい相手になる。
まさに嘘(隠ぺい)は泥棒のはじまりということわざの如く、といっても過言ではない。
子どもを過酷な環境に置き続ける危機管理レベルの低い学校
2024年7月現在重大事態いじめのガイドラインは改正目前で、2024年8月2日まで意見募集されているが、第三者委員の選任を緩やかにしようという動きが叩き台となっている。
つまり、これらの有識者と国に呼び出しを受ける方々が、委員の第三者性をあまりに厳格にしていくと、選任に時間が掛かり、第三者委員会発足までの労力が甚大であると考えているのだろう。
ただし、それでは、仕事ができないレベルの人しかいない組織なので、全体的にレベルを落として「良し」としましょうと言っていることに他ならないのだ。
例えるなら、自動車運転免許の試験が難しいから、超簡単な試験にしちゃいましょう。事故を起こせば責任が問われるから、きっとみんな慎重に運転しますよと言っているのとほとんど同じだ。これでは、日本中、交通事故まみれになって道を歩くのも運転をするのも命懸けのサバイバル状態になるだろう。今や、こどもたちは、その過酷な環境にいるのだ。危機管理レベルの低い学校のせいでだ。
被害者本人やご遺族が必ず言う言葉がある。
「二度とこのような事が起きないように」
これは願いとも言えるが、二度と起きなかったことはないし、まともな第三者委員会が、有効な予防策を提唱しても、これを実行に移す教育機関はほとんどないのが現状である。
立法と行政、そして司法には、この国の未来がこどもだと言うのであれば、命や将来を奪う「いじめ」について真摯に向き合い、被害側に寄り添ってもらいたいものだ。
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