露側の停戦交渉の出発点としては妥当な東部4州の割譲
さて、プーチンが言う東部4州のロシア割譲は、余りにも現実からかけ離れた突拍子もない要求かどうか。私はそうは思っておらず、今の段階まで来てしまった後では、少なくともロシア側の停戦交渉の出発点としては妥当ではないだろうか。
と言うのも、2014年の米国介在のマイダン革命から10年という物差しで計る限り、ウクライナ戦争の本質は、東部の主としてドネツク、ルハンスクのロシア系住民が圧倒的に多い2州にロシア語使用権をはじめとした自治権をどれだけ認めるかをめぐる「内戦」に他ならない。
マイダン革命でウクライナがNATOに組み敷かれ、とりわけクリミア半島の突端にあるセバストーポリ港の黒海艦隊の大拠点が西側の手に落ちれば、オセロゲームの勘所の駒が1つひっくり返ると縦横斜めに連鎖が走るように、ロシアの安全保障体系が破滅しかねないことを恐怖したプーチンは、それこそ「特殊軍事作戦」を敏速に発動してクリミアを領土に取り込んだ。その時、ウクライナ本土東部のドネツク、ルハンスク両州で多数を占めるロシア系住民は、クリミアと同じく住民投票でロシアへの帰属を決議したが、それをプーチンは制止し、「いや、お前たちはクリミアと同じではない。お前たちはあくまでもウクライナ国民としてそれなりの自治権を得て、そこで生きよ」と命じた。
クリミアは元々、帝国時代からロシア領で、それが1954年にウクライナ領に移されたのはフルシチョフの気紛れにすぎず(彼は人生前半のほとんどをドネツク地方で過ごし、59歳でソ連共産党第一書記に就く前にはウクライナ共産党第一書記を務めたこともあった)、しかも当時は後々ロシアとウクライナが別の国になるとは誰も想像せず、ロシア側でそれに反対する者はいなかった。逆にウクライナ側にしてみれば棚ぼたの話で、元々ロシア系住民が8割を占めるクリミアを「自分の領土だ」と言い張るだけの根拠を持ち合わせていない。
ウクライナ東部はそれとは事情が違い、ロシア語を主言語とする人が5~7割を占めるけれども、そうでない人もロシア語を喋らない人はいないという、ロシア人とウクライナ人、その混血の人たちが混住するハイブリッド地帯で、フルシチョフ一家のように祖父の代からそこで暮らしてきたロシア人もたくさんいる。ところが、14年のマイダン革命によって出現したポロシェンコ政権は、ウクライナの純血を至上とする過激な民族主義者や、西部に多いユダヤ系の反露団体の影響を受け、その地方でロシア語を公用語から外すなどの制限を実施、それに反発するロシア系住民の自衛部隊とキーフ政府の手先の「アゾレフ連隊」などの暴力集団との間でテロの応酬が頻発し、事実上の内戦状態が始まった。
それを穏便に解決を図ろうとしたのがプーチンで、ウクライナとロシアの両政府、ドネツクとルハンスク両州のロシア系住民代表、それに西欧代表(当初はOSCE、のちにはフランスとドイツ)とによって、即時停戦、両州にウクライナ法に裏付けられた自治権を付与することを主な内容とする「ミンスク議定書」合意に漕ぎつけた。が、キーフ政府と両州住民の怨念は深く、互いに「停戦合意違反」を非難して殺し合う事態が続き、合意は破綻した。が、プーチンはポロシェンコとその後継のゼレンスキーに対して議定書の合意に立ち戻ることを要求、仏独もそれをバックアップしたが、かえってロシア系住民へのテロや破壊工作は激しくなった。そのためプーチンは「我々は2014年から8年間待ったが、もうこれ以上は我慢がならない」と言って、22年2月に侵攻を発令した。この判断は間違いだと思うが、そうせざるを得なくなった彼の心情は理解可能である。
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