パリ五輪ボクシング女子「性別騒動」で注目、「男女平等パンチ」概念は世界に通用するのか?背景に保守vsリベラル、男女の対立も

2024.08.02
by 東山ドレミ
 

「男女平等パンチ」は女性差別か当然の主張か?

「男女平等パンチ」について、先の編集デスクが説明する。

「46秒で棄権したカリニ選手は試合後に、『あれほど強いパンチを受けたことは今までにない』とケリフ選手を批判しました。すると『これが男女平等パンチだ、思い知ったか』といった皮肉めいたコメントが多数、SNSに投稿されはじめたんです。なかなかキャッチーな表現で、敗れたカリニ選手や、同選手に同情的な人々を揶揄するニュアンスが込められているのは明らか。これは具体的に一体どういう意味なのだろう、と詳しく調べたところ、どうやら『男性vs女性』や『保守vsリベラル』といった対立構造が背景にあるようでして……」(前同)

「男女平等パンチ」の意味合いを、話し言葉でわかりやすく説明するのは難しい。そこで、今回の性別騒動において、この表現を好んで使用している人々の考え方を編集デスクから聞き取り、それを箇条書きで整理してみたのが下記だ。あくまで一例であり、厳密な正確性に欠ける点はご了承いただきたい。

【「男女平等パンチ」概念の背景】

(1)リベラル陣営は男女平等を含むジェンダー平等を推進してきた。その際、多くの場面で、(保守派の?)男性や男社会は女性の敵とみなされ、差別者として糾弾された

(2)ジェンダー平等は古典的な男女二元論を超え、性的少数者への(過剰な?)配慮を必要不可欠とする“進歩的”な考え方に発展していった

(3)これがより先鋭化し、生物学的な性別とは別に、本人の性自認という要素が(必要以上に?)尊重されるようになった結果、たとえば「私は身体は男性だが心は女性であり、恋愛対象は女性である」といった、外部からは容易に正当性を検証できない主張をも社会は無条件に受け入れざるを得なくなった

(4)その結果、“女性”を自称する男性が突然、女性用トイレに入ってくる、といったトラブルも発生するようになった。このような風潮に疑問を呈する保守派は少なくなかったが、リベラル側は「アップデートできていない差別者」として、彼らを社会から排除しようとした

(5)以上のような経緯であるから、今回の五輪ボクシングで、女子選手が“自称女性の男性”から強烈なパンチを受けたとしても同情はできない。今、カリニ選手に同情しているリベラルは自縄自縛に陥っている。自分たちが推進してきた「男女平等パンチ」を甘んじて受け入れるべきである――

以上だ。ケリフ選手はトランス女性である、という初期のデマに依拠するなど、いろいろツッコミどころはあるが、おおむね上記のような主張が「男女平等パンチ」という言葉には込められているということのようだ。

記者は個人的には、部分的には納得できる箇所もあるものの、全体としては極論が過ぎるように感じた。あなたはどう思うだろうか。

思わぬ騒動に発展したパリ五輪ボクシングの“性別問題”。将来のスポーツ全般に大きな影響を与える可能性もあり、今後の動向が注目される。

image by: ALGÉRIE PRESSE SERVICE | وكالة الأنباء الجزائرية , CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

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