前回の記事で第二次オイルショック時、極秘に日銀総裁が大平首相の私邸を訪ねたことを紹介した『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』の著者で時代小説の名手として知られる作家の早見俊さん。早見さんは、この日銀総裁の行動について賛辞を贈っています。
日本経済を逆転させた日銀総裁、前川春雄(最終回)
前川は大平に予算審議中の公定歩合引き上げを訴えました。大平もその必要性は十分にわかっています。しかし、予算審議中の公定歩合引き上げは前例がなく、大蔵省の反発ばかりか予算組み直しとなれば、野党の攻撃を受けて国会は混乱します。
前年の十月、一般消費税導入を掲げ、大平は衆議院選挙を戦いましたが、消費税導入は国民に受け入れられず、自民党は大きく議席を減らしました。党内の反主流派が勢いを増し、大平は新自由クラブとの連立で何とか政権を維持していたのです。政権基盤の弱い大平が国会を混乱させる予算審議中の公定歩合引き上げを承認するか。
前川の強い訴に大平は即答を避けたものの考えてみると答えます。それだけでは満足せず、前川は来週中に返事が欲しいと期限を区切りました。首相相手に、しかも森永と共に自分を総裁に押してくれた大平にも遠慮せずはっきりと自分の意見を言いました。
会談後、前川は大平の返事をじりじりしながら待ちます。すると、公定歩合引き上げを匂わせるような新聞記事が出ます。これには大蔵省が反発し、日銀批判をやり始めました。
そんな険悪な空気が漂う二月十五日、前川は衆議院予算委員会に参考人として出席します。予算委員会では前川に対し、公明党の衆議院銀から予算審議中の公定歩合引き上げについて質問されると予告されていました。国会答弁は、現在も想定問答が作成されます。当時は日銀の独立性が確立されておらず、日銀独自ではなく政府、大蔵省の意向を受け入れての回答するのが慣例でした。公定歩合引き上げについても大蔵省の意見とは合わず、想定問答はどっちつかずの玉虫色のものとなります。いくら前川でも、大蔵省の意向を無視して独断で公定歩合を引き上げるなどという答弁をするはずはないと、思われていました。
質問当日、前川は想定問答を一切見ることなく答弁しました。どういう事情があっても、金融政策の変更が必要と判断される場合には公定歩合を含めて金融政策上の措置をとる決心していると堂々と答弁しました。
予算審議中の公定歩合引き上げの前川の発言は日銀内で興奮を持って迎えられました。周囲が沸くのを他所に当の前川は淡々としていました。やるべき事をやっただけという思いで、公定歩合引き上げが却下されたら潔く辞任する覚悟ができていたのです。明くる十六日の午前中、政府から日銀に公定歩合引き上げを了承する連絡が入りました。
二月十八日、日銀は公定歩合引き上げを発表、記者会見の場でも前川は落ち着いた口調で、公定歩合引き上げで日銀の仕事が終わったわけではないと述べました。言葉通り、二月十九日の公定歩合一パーセント引き上げ実施後も国内、海外の経済情勢の推移に注意し、二度目の公定歩合引き上げと総需要抑抑制を政府と協議しました。事態は予断を許さず、三月十九日、前川は二度目の公定歩合引き上げ、しかも、一、七五パーセントの大幅アップを実施しました。この結果、公定歩合は九、二五パーセントという高水準となります。四月には物価は高騰しましたが、五月からは落ち着き夏には改善に向かいました。第一次オイルショックの悪夢から解き放たれたのです。
実は二度目の時、政府筋からマスコミに公定歩合引き上げがリークされました。一回目の前川の独断に対する意趣返し、もしくは財政政策である総需要抑制を避け、公定歩合引き上げによる金融政策に責任を負わせようという政府の思惑が感じられました。公定歩合引き上げが漏れたことにつき、前川は記者会見で率直に言って非常に不愉快である、と述べました。政府に対しても媚びず、堂々と発言する前川に共感を覚えた人は大勢いました。
前川は上に媚びず、部下には威張りませんでした。鞄を持とうとする秘書に鞄は自分で持つものだ、お酌をする部下に酒は手酌で飲むものだ、飲みに行くのも高級料亭やクラブではなく小料理屋という気取らない人柄だったのです。葬儀に参列する際、日銀総裁ともなれば優先して弔問が許されるのですが前川は必ず列に並んだそうです。名誉、権力、金に淡泊で、叙勲は頑なに断りました。自分の死後も叙勲を受けるなと家族に遺言したほどです。
前川の先祖は滋賀県の士族でした。信念を貫き媚びず、飾らずという前川の古武士然とした人柄が第二次オイルショック後の日本経済を逆転させたのでした。
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