30年も無能だったなら、これからも無能なのだ
これについて、私は次のように思っている。
「これまで30年以上もまともな政治ができなかった日本の政治家に、これからもまともな政治ができるわけがない。見切りをつけるなら、早ければ早いほどいい」
今の政治家は、政策立案能力が低下しているし、国際交渉力も弱体化している。政治家と官僚の関係も悪化しているし、どちらも長期的ビジョンが欠落している。政治改革は停滞したままであり、野党は機能不全に陥っている。
また、度重なる不祥事で政治不信が根強く続き、政策実行力も低下して、日本の深刻な問題は放置され続け、悪化の一途を辿っている。
こうした状況を「建設的な議論で政治を変える必要がある」という人もいるのだが、そういう意味のない楽観論を聞くと、私は失笑してしまう。そういうのは20年、30年前にいう話であって、手遅れになった今ごろになっていう話ではない。
そもそも、30年以上も無能だった今の政党や政治家に、これから何かを期待できると思い込んでいるその神経が恐ろしい。30年も無能だったなら、これからも無能なのだ。30年もだらしなかったなら、31年目から優秀になる確率はゼロである。
私自身は現実主義者なので、楽観論で社会を見ることはない。私が日本に見切りをつけたのは2009年頃であり、私が自分の資産のほぼすべてをドルに転換して米国株にしてしまったのは2012年だった。
資産をすべて米国株にしてしまうのはリスクだという考えかたは私にはなかった。
なぜなら、今の資本主義でうまくやっていけるのは米国なのか日本なのか、今後イノベーションを起こせるのは米国なのか日本なのか、安心できる投資先は米国なのか日本なのか……と、自問自答していけば、どう考えても答えは米国だったからだ。
資産をすべて米国株にしてしまうのはリスクどころか、日本円と日本株で持っておくほうが驚異的なリスクであると思わざるを得なかった。
この記事の著者・鈴木傾城さんのメルマガ








