プーチンから「お前は馬鹿か」と嘲笑されること必至。石破氏「アジア版NATO」構想で露呈したウクライナ問題の歴史的経緯を知らぬ新首相

 

「ウクライナはNATO未加盟ゆえ露に侵略された」の間違い

まずは、ウクライナ問題の由来とその結果としてのウクライナ戦争の本質についての余りにもお粗末な理解である。簡単に言えば、ウクライナはNATOに入っていなかったからロシアに侵略されたのではなく、話は逆さまで、ロシアが兄弟の契りで結ばれていると思ってきたウクライナを米国が何が何でもNATOに引き込もうとする挑発行為を繰り返したことがロシアの暴発を招く一因となったのである。順を追って言えば……、

(1)1989年に冷戦が終わり、ゴルバチョフが91年にさっさとワルシャワ条約機構を解散したにもかかわらず、米国(ブッシュ父政権)は「冷戦という名の第3次世界大戦に勝利し、ソ連を負かしてやった。これからは米国の天下だ」という“唯一超大国”幻想に取り憑かれ、仏独などの意向にも逆らってNATOを解消しなかった。

(2)そればかりか、米国(クリントン政権)は97年以降、ポーランド、チェコ、ハンガリーを手始めに、旧東欧諸国を順次NATOに加盟させる「東方拡大」策に着手した。同じ年、早くも「NATOウクライナ委員会」を設置し、加盟のための政治・軍事・財政等の問題の協議が始まった。

東方拡大の最大の狙いは、それら諸国に旧ソ連製の兵器体系を廃棄させ、米国製の最新兵器に置き換えさせることにあり、そのため米国最大=世界最大の軍需会社ロッキード・マーチン社が「NATO拡大のための米国委員会」というロビー団体を創設し、バイデン(現大統領)、強烈な反共主義者の故マケイン両上院議員ら当時の上院外交委員会の尻を叩いて政策と予算を動かした(詳しくは本誌22年7月4日号=No.1162「米軍産複合企業が推進した『NATOの東方拡大』/バイデンは上院議員当時からその手先だった!」を参照)。

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(3)2001年にブッシュ子政権が発足すると、その前から上述「NATO拡大のための米国委員会」などに巣食っていたネオコン活動家がどっと政権中枢に入り込み、アフガンとイラクで無益な戦争を始める一方、00年のユーゴスラビア「ブルドーザ革命」に続き、03年のグルジア「バラ革命」、04年のウクライナ「オレンジ革命」、05年のキルギス「チューリップ革命」などを次々に仕掛け、親ロシア派政権の転覆を図った。

ウクライナでは、04年の大統領選挙で当選した東部ドネツク地方のロシア系住民出身のヤヌコービチが不正選挙を働いたと糾弾する市民運動が起こり、再選挙となり、親欧米派のユシチェンコが大統領に就いた。そのためNATO加盟問題が再び浮上し、2008年にブカレストでのNATO首脳会議にブッシュ子米大統領が出席、ウクライナとグルジアのNATO加盟を推進する方針を正式に決めた。しかし2010年の選挙で親露派のヤヌコービチが返り咲いたので、またも協議は中断させられた。

(4)2013年秋にキーフのマイダン広場を舞台に、親欧米派の市民がEUとの経済関係を強める協定の締結を求めるデモを起こすと、米国(オバマ政権)はすぐさま行動を起こし、ネオコン活動家として知られるビクトリア・ヌーランド国務次官補=東欧担当〔後に国務次官、夫はネオコンの理論的支柱ロバート・ケーガンで、ケーガンの妹のキンバリー・ケーガンがネオコン系の拠点「戦争研究所」の所長〕を現地に送り込んで市民らを激励。またマケイン上院議員も乗り込んでウクライナ民族主義過激派やユダヤ系極右団体など反ロシア勢力の指導者たちと協議し、資金と武器の供与を約束した。

それで同国はたちまち内乱状態に陥り、14年2月のクーデターによりヤヌコービチは国外逃亡。親欧米派の政権が発足した(詳しくは本誌2014年3月3日=No.725「プーチン=悪者論で済ませていいのか?/ウクライナ・クリミア争乱の深層」を参照)。

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