「日本抜き」でなければアジア版NATOは成立しえない
そもそも、シンガポールなどは、西側自由貿易圏と中国の2つの勢力に対して、徹底した是々非々、徹底した実利主義によって「ほぼ等距離」の外交を行ってきました。等距離というのは、同じように近いというのでも、同じように遠いというのでもありません。同じように「適度な距離を取る」ということです。
ですから、このアジア版NATOのような中国に対して喧嘩を売るような同盟には入りたくないでしょう。
同じように、域内の各国はどの国も中国との間には独自の距離感があります。ですから、NATOのように、一国への攻撃は全員への攻撃とみなすというような「全か無か」という同盟は難しいのです。
一番難しい理由は、そこに日本が入ることに抵抗を持つ国が多いということです。拡大アジア圏というのは、ある意味で2つの大東亜共栄圏の焼け跡といってもいいわけです。1941年以降の東條の大東亜、そして1970年代から90年代の「日本の下請け」だった時代のアジアで、どちらも灰塵になってしまいましたが、その「焼け残り」は今でもくすぶっています。
日本にとっては残念ですが、その「焼け残った」日本への複雑な感情は、それぞれの国におけるナショナル・アイデンティティに組み込まれています。ですから、自分の絡んだトラブルに日本が「しゃしゃり出てくる」のも愉快でないし、また日本のトラブルに巻き込まれるのもイヤなのです。
この日本との間の非対称な関係性ということ、また中国と各国が抱えている非対称な関係性ということ、この2つがアジアの域内外交を複雑にしています。アジア版NATOというのは、その複雑さを単純化するものです。もっと言えば、複雑さの中に均衡と安全がある現状と比較すると、危険を増やしてしまう可能性すらあると思います。









