中3死傷、柏市夫婦殺人…中高年男性の「悪意」に日本社会が敗れる根本理由。犯罪抑止に必要なのは懲罰か保護か?

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塾帰りにファーストフード店に立ち寄った中学生2人が、面識のない40代の男に刺され死傷した北九州市の事件。一刻も早い犯行動機の解明が叫ばれる一方で、容疑者への厳罰を求める世論の声はこれまでになく高まっている。これに関して、私たちが応報感情によって凶悪犯を“始末”したり、警察や司法の奮起に期待するだけでは、日本社会として犯罪を抑止できないとみるのは米国在住作家の冷泉彰彦氏。アメリカの先行事例を挙げつつ、悪事に手を染める前の“犯罪予備軍”に対する支援の重要性を指摘する。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:懲罰か保護か、日米の犯罪抑止を考える

年の瀬の日本で相次ぐ凶悪事件

北九州市小倉南区のマクドナルド店舗における殺人傷害事件(12月14日)、また千葉県柏市の夫婦殺人放火事件(12月18日)など、日本国内で凶悪な事件が立て続けに発生しています。どちらも極めて悪質であり、いずれも容疑者は確保されていることから犯行動機の解明が今後の大きなテーマになると思います。

とはいえ、報道から浮かび上がる動機のイメージは明確ではありません。北九州の場合は若い人々への漠然とした悪意のようなものが感じられます。また柏の場合は、金銭がらみの怨恨という説もありますが、やはりカネの問題を超えたドス黒い悪意のようなものが感じられます。

こうした事件に関して、とりあえず2つの問題が想起されます。まず、この2つの事件の場合は、容疑者は日本人でしかも地元に長く住んでいる住民だということです。ですから、基本的に「社会問題」にはなりません。つまり、仮に北九州の容疑者が若さへの羨望から来る怨恨を抱えていたとして、それは純粋に「個別の問題」という理解がされます。柏の事件でも、仮に金銭トラブルが契機となっていて、そこに認知の歪みや関係性の歴史などが乗っていても同じように「個別の問題」になります。この2つの事件を並べて「治安が悪化している」ということにはなりません。

もちろん、「気味の悪い人がいたら逃げたほうがいい、関わらないほうがいい」という生活の知恵的な発想は増えるでしょうし、また事件の大きな背景に経済衰退や貧困の問題があるとも考えられますが、それは大きすぎる話です。経済衰退や貧困の改善に取り組もうとしても、何十年も不可能だった課題ですから、特にこうした事件を契機に考え直すということにはならないのだと思います。ということは、あくまでこうした異常な事件は「個別の問題」という理解で終わってしまいそうです。

凶悪犯を「始末」したがる私たちの心理

では、個別の理解ということで、犯罪心理学的な詳細な心理の分析が進むかというと、近年の傾向はそうでもないように思います。どちらかと言えば、個別の問題という受け止めは、被害者やその遺族による応報感情に社会が乗っかっていって、最終的には応報刑という形で「始末」するという格好で完結させてしまいます。

こうした「始末」で済ませるというのは、かなり強い社会的感情のように思います。例えば、池袋で起きた高齢ドライバーによる交通事故死事件に場合は、受刑者が最近高齢のために獄中老衰死して1つの「完結」を見ました。この事件の場合は、社会的な観点から高齢者の免許返納運動を加速させたという側面はあるように思います。ですが、社会としてはやはり応報刑での「始末」を望むという感情がかなり強かったように思います。

この事件の場合は、偶然に被害者遺族が節度や知性のある方だったのですが、社会全体の「応報」を強く望む感情とは完全にはシンクロしなかった部分があり、一部からこの遺族の方への誹謗中傷の攻撃が出てしまいました。これは残念なエピソードですが、それぐらい社会の「応報で済ませたい」という感情は強かったのだと思います。

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「日本人の犯罪」と「外国人の犯罪」で受け止めに差も

非常に単純化するのであれば、日本人もしくはニュアンスまで通じる日本語話者が犯人の場合は、凶悪犯には応報刑で報いる、済ませるのが良いという感情論がかなり強くなっているように思います。これは反知性的な運動だということよりも、日本の場合は、恐らく社会的背景を探すと貧困や経済衰退の話になるという問題があると思います。そこまで背景のストーリーを拡大するのであれば、それは全員が我慢しているのだから理由にはならない、そんな基礎理解もベースにはあると思われます。

反対に、高度な日本語を解さない移民や外国からの来訪者の場合は、仮に犯罪が発生すると、短絡的に「出ていけ」という話になります。つまり、自分たちのコミュニティの「中の人」であれば「応報刑で済ます」し、「ソトの人」であれば「追放して済ます」という単純化がされます。後者の場合は、個別の問題的な理解にも興味がなく、出ていってもらえれば、それでいいという反応になります。

この外国人の場合は移民問題に短絡するというのは、アメリカやヨーロッパでも共通で、例えば世界を震撼させた911テロの場合に、主犯のモハメド・アタの個人のストーリーには誰も興味を抱きませんでした。エジプト出身の優秀なエンジニア候補だったのが、ドイツの大学で差別を受けてダークサイドに行ってしまったというのです。ですが、そこで例えばトルコ系の周囲の人々が彼を救済できなかったのか、あるいは差別に回ったのかなどは、大事な問題なのですが、歴史の中では無視されています。

そんな中、この12月20日の夜には、ドイツ東部のマグデブルクで、クリスマスの市(マーケット)の群衆に車が突っ込むという事件が発生しました。非常に厳しい事件です。車を運転していたのはサウジ出身で50歳の医師の男で逮捕されています。ドイツ当局は、単独犯によるテロの容疑で取り調べをしています。サウジからは「要注意」という事前情報を通告していたという話もあるのですが、この点の事実関係は分かりません。

アラビア語圏からドイツに移民してダークサイドに行ったということでは、もしかするとアタの事例との共通点があるのかもしれません。ドイツは総選挙を前にしているので、この事件は政治化を免れないと思いますが、その点に関しては男はイスラムを棄教して右派(ドイツのAfD、トランプやマスクの主張)に賛同していたという錯綜した情報もあり、より真実の解明が待たれます。

そう考えると、移民の犯罪に関しては単に排外思想で処理されるだけではなく、より複雑な政治的文脈から利用されていくという傾向も強く感じます。今回のドイツの事件については特にそうで、だからこそ、個別の、つまり個人の心理の部分の解明が必要だと思うのです。

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