本当に必要なのは「容疑者確保」ではなく「問題への支援」
つまり、非常に単純化して言えば、「黒人として人権意識とプライドがあるから逮捕を従順に受け入れない」という姿勢が、警官には「危険で反抗的だから最大限の注意を払って無害化しなくては」という差別感情になるわけです。
そして「黒人の巨漢が抵抗しているのだからマニュアル通り無害化が優先される」という中で、殺害まで正当化されてしまうわけです。
DVについても、あるいは自閉スペクトラムや多動といった個性の場合でも同様です。急行した警察官が、彼らを「自分たちへの脅威」だと誤解してしまうと、即座に命のやり取りをしてしまうことになります。
こうした理解をすることで、BLM運動の中から出てきていたのは、この種のトラブルと言いますか、悲劇的な結果を防止するために短絡的に警察が介入「しない」という考え方です。
つまり、「家庭内暴力など市民同士の争いごと」に関しては、そこに「刑事犯罪」があるという発想をしないということです。そのようにして、「悪しき容疑者を確保しなくてはならない」というアプローチを見直そうという主張です。
つまり、善良な市民がトラブルに陥った際に、最初に必要となる対応は「容疑者確保」ではなく「問題への支援」だというわけです。
具体的には、そのために派遣されるべきは「カウンセラー」であったり「医師」「看護師」「ケースワーカー」であって、何のノウハウもなく、恐怖心から人を殺してしかも自己正当化をするような警官ではないという考え方です。
これはDVや個性に関する通報だけではありません。例えば「ストリート」の世界に生きていて、闇の脱税タバコを1本単位で販売しているような人物についても、「取り締まる」対象にするのを止めようというのです。
つまり、警察が出て行って追い回すのではなく、経済的にも、また医療の観点からも支援の対象であるという方向に発想を転換すべきというのです。
この議論は大いに傾聴に値するものだと思います。多くのアメリカ人は「警察への予算カット」という主張は、警察への憎悪から来るアナーキーな主張だと思っていますが、そうではなかったのです。
こうした発想は同じような「警察の暴力」への反対運動にあっても、2014年の時点(オバマ時代にNYなどで激しくおきたもの)運動ではあまり議論されておらず、いわゆるBLMと言われる2020年の運動で出てきたものでした。









