4つの宗教が共存するインドの小さな町。そこを訪れたのは、生きづらさを抱える人たちの支援に取り組むジャーナリストの引地達也さん。引地さんは、自身が発行するメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の中で、日本にいてはわからない「インドの宗教の現実」について紹介しています。
宗教が共存するインドの地方都市の情景と現実
インド南部、沿岸の都市マンガロールから内陸に向かって2時間程の町、カルカラは約30年前の学生時代に旅した時期の風景がそのまま残されたようで、思わず頬が緩む。
若い時に求めていた刺激があって、かつての若さゆえの好奇心は純粋で、思い出すと少し気恥しい感覚にもなる。目抜き通りには土埃を巻き上げ、クラクションを連呼する乗り合いバスとオートリキシャが先を争い目的地へ急ぐ。
マーケットに屯する人たちはどこへ向かうのだろう。
足元がはだしの人は1人ではない。
しかしながら、あの頃に比べると人力車は見ないし、行きかう車も中には洗練されたフォルムの国産車が目立つ。はだしの人の手にもスマートフォンが握られている。
そしてこの小さな町の目抜き通りには、イスラム教、ヒンズー教、ジャイナ教の寺院、キリスト教会があり、祈りを捧げる人の日常は気分を穏やかにさせてくれる。
早朝5時、暗闇の中にあるこの町もイスラム教寺院からはコーランの調べがこだまし、厳かな面持ちで信者が集っていく。
同じ通りにあるヒンズー教の寺院にはろうそくが灯り、そこにも年配の女性が手を合わせていた。
目抜き通りからしばらく歩くと、小高い丘を上る階段が始まる。
そこはジャイナ教の聖地であり、上りきるとジャイナ教の聖人、ゴマテーシュワラの直立した石像がそびえたつ。領地をめぐる兄と弟の領地の争いは、兵士を殺すことなく勝敗を決めるために、兄弟は腕相撲などの「闘い」で決着を決めた。
勝利したのはゴマテーシュワラだが、その争いに心を痛め、修行の徒となり、聖人化した、という話が石像の説明である。
直立した裸像は塀で囲まれ、塀の中には靴を脱いで入らなければならない。
ジャイナ教は非暴力で殺生を禁じているから、菜食が基本。
その禁欲主義と苦行を、灼熱の中、石畳の聖地を裸足で巡礼することで、その一端を実感できる。
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