「ウクライナのNATO加盟は非現実的」の真っ当至極
ヘグセスの構想は、バイデン政権時代の米国がゼレンスキーべったりだったのに比べれば、ロシアの主張を大幅に取り入れているのは事実だが、肝心なのは「どっち寄り」という浅薄な決めつけではなく、それが歴史と現実を踏まえて戦争終結への道を開くのに役立つのかどうかという客観的・論理的な見極めである。
第1に、ヘグセスがウクライナのNATO加盟は現実的でないと断言しているのは、正しい。なぜなら、米国が旧東欧諸国や旧ソ連傘下のバルト3国などを次々にNATOに加盟させ、ついにはロシアが“兄弟国”とみなすグルジア、ベラルーシ、ウクライナにまで触手を伸ばすという挑発行為に出たことが、この戦争の根本原因であるからで、それを取り除かない限りいかなる和平も成り立たない。
本誌が繰り返し語ってきたように、冷戦終結によって戦後の東西両陣営による核を含む脅し合い・睨み合いの構造が解体され、当然にも東側のワルシャワ条約機構(WPO)と西側の北大西洋条約機構(NATO)は存在意義を失った。
ソ連のゴルバチョフ大統領は粛々と91年7月にWPOを解散し、ドイツやフランスをはじめ西欧にもそれに対応してNATOを解消しようとする流れが生じた。しかしブッシュは、欧州およびユーラシア大陸への米国の覇権のテコとしてのNATOを手離したがらず、「ヨーロッパにはもはや敵が存在しないのに、何のために軍事同盟を存続させるのか」という疑問に対しては、「ヨーロッパ域内よりも域外の特にイスラム圏の脅威に共同対処すべきだ」として“域外化”を強調する新戦略概念を策定させた。
単に存続しただけならまだしも、問題は1999年以降NATOが旧東欧諸国を次々に併呑し、さらにウクライナ戦争勃発後は北欧の2カ国をも加盟させ、地図で見れば明らかなように、露骨に「ロシア包囲網」を作り上げてきたことである(図1)。
こうしたNATOの東方拡大戦略は、94年に始まった中立国や旧ソ連傘下の諸国との「平和のためのパートナーシップ」に始まり、その中でもとりわけロシアと国境を接するウクライナとは97年から、ジョージアとは08年から、それぞれ加盟問題を話し合う「委員会」を設置し、さらにロシアの反発を抑えるために02年には「NATOロシア理事会」を設置するなどして、最終的にはロシア自身をも加盟させる方向でことが進められた(図2)。
しかし、2003年のジョージア「バラ革命」、04年のウクライナ「オレンジ革命」、05年のキルギス「チューリップ革命」など、いずれも米国のブッシュ子政権に巣食ったネオコン過激派が仕組んだ独裁政権打倒の“市民運動”が起きたことから、ロシアが急激に態度を硬化させ、米およびNATOとの関係が険悪化した。
その中でもしかしネオコンの暴走は止まらず、2014年ウクライナ「マイダン革命」による親露派大統領の追放、親欧米的なポロシェンコ、次いでゼレンスキーの政権が成立する。
ここまで冷戦終結から3分の1世紀。現在のNATOの司令部および軍の配置図を見れば、NATOにとっての空白はベラルーシとウクライナだけで、ロシアはほとんど窒息状態に追い込まれていることが分かる。逆にロシアから西方を眺めればどういう景色が見えているかについて、想像力を働かせる必要がある(図3)。
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