再び被害を生じさせる懸念すら抱かざるを得ない会長の言葉
教団側は、解散命令の決定をうけて、ホームページに文章を出して、会見も行い、田中会長は冒頭で「背教者の主張をうのみにした決定は承服できない」と憤りをあらわにしたと報道されています。
これは、信者向けに出した言葉のように思われますが、そもそも、こうした発言をすること自体、ダメなことで、過去の引き起こした教団の被害の責任を見ていないことの表れだと私はみています。
教団の信者たちは神側で、世の中にいる人たちはサタンの側とわけて考えて、教団によって救わなければならない存在とみて、霊感商法を通じて、見えてもいない霊の存在を使いながら、「あなたは先祖の因縁で不幸になっている」と嘘をついて、不安をあおり、高額な壺などを売り、家系図などをとって、献金をさせてきました。
二度と金銭的被害を繰り返さないと思う心があるならば、「背教者の言葉」という、反対する者をサタン側で、自分たちは神側としてみるような言葉は、絶対に出てこないはずだからです。再び、同じような被害を生じさせる懸念すら感じさせる言葉です。
裁判所はその点をしっかりみているように思います。
「今も類似の被害を生じさせるおそれがある状況が残っている。旧統一教会に事態の改善を図ることを期待するのは困難というべき」としていますが、私もそう思います。
「罪の告白」をしなかった教団が招いた重大な結果
教団は、即時抗告の方針を示していますので、今後、解散命令の争いは、高等裁判所に移ることになります。しかし被害を出した事実は消えることはありませんし、何より被害者への謝罪をせずに、被害者に対しての賠償にも応じていない状況です。これでは、今後も被害が起こり続ける懸念はくすぶり続けている状況ですので、高裁でも同じ決定がでるものと考えています。
ここだけの話をすれば、やはり文化庁が7回の質問権を行使した時に「回答しない」という態度を取ったことが一番、ダメだったと思います。不都合なことに答えない姿勢が、過料10万円の決定となり、最高裁にてそれが確定して、解散命令の流れを完全に作りました。
正直なところ、教団は「答えなかった」というより、「被害を引き起こした真実に向き合って、質問に答えなかった」のだと思います。民法の不法行為の数々が露呈するのを恐れてかもしれません。
聖書をもとにして、教義を教えている宗教団体であるにもかかわらず「罪の告白」をしなかったこの行為は、結果として自らの首を絞めることになったように思います。
(この記事はメルマガ『詐欺・悪質商法ジャーナリスト・多田文明が見てきた、口外禁止の「騙し、騙されの世界」』2025年3月28日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をご登録後、3月分のバックナンバーをお求めの上お楽しみください)
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image by: Sun Myung Moon, CC BY-SA 4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で








