「愛子天皇」が男尊女卑カルトのアイデンティティを崩壊させる理由
メキシコは、非常に男尊女卑の傾向が強い国だ。本来、15~16世紀のアステカ王国時代の女性の地位は決して低くはなく、女性も自ら商売をするなど、様々な活動をしていた。
ところがそこへスペインが侵略してきた。 この時代に中南米に渡ってきたスペイン人は、そのほとんどが男性であり、イギリスから北米に向かったピューリタン(清教徒)が家族ごとの移住だったのとは全く対照的だった。
スペインの男たちは殺戮と略奪の限りを尽くし、女性をレイプしまくり、膨大な数の混血児(メスティーゾ)を生み出した。 そしてメスティーゾの多くは「スペイン人の父を誇り、先住民の母を軽蔑する」という心理状態になったという。
スペインの男たちは暴力的な植民地支配を行い、女性たちはそれまで担っていた社会的地位を奪われ、不当に支配される存在となってしまった。
さらには、当時のヨーロッパでは常識だったカトリック的な男尊女卑の価値観が持ち込まれ、男性は独立した主体として考え行動するために生まれるものだが、女性は男性に従属し、家庭に入るものだという考えがメキシコでも一般的になった。
初期のメキシコの法律の多くはフランスの民法典に影響を受けており、女性は法律から財政に至るまで、生活のあらゆる面で男性に扶養されるものとされていた。
そして、そんな植民地支配が300年続き、これによって中南米一帯では男尊女卑が強固に定着してしまったのである。
この「男性優位主義」のことを「マチスモ(machismo)」という。
スペイン語でオス・男性を意味する「マッチョ(macho)」から派生した言葉で、英語でいえば「マッチョイズム(machoism)」である。
その一方、メキシコの女性には「マリアニスモ(marianismo)」が定着していった。聖母マリアに由来する言葉で、子供に対して献身的に尽くす自己犠牲的な母親像で、日本でいえば「良妻賢母思想」だろう。 美談として語られることが多いが、実際のところはひたすら男性にとって都合のいい「理想像」である。 これは、女性は自分自身の希望を諦め、ひたすら子供のために尽くすべきものであるという考え方となり、女性が自分自身の価値を低いものと評価するようになっていった。
マチスモは中南米諸国にある程度共通して見られるが、メキシコのマチスモに特徴的なのは、女性に対する殺人などの暴力が顕著だということだ。
全てがフェミサイドであるかどうかは判別できないが、メキシコでは1日平均10人近くの女性が殺害されているという。そして、それらの事件の98%は全く訴追されないままになっているそうだ。 レイプされる女性は16分に1人。 女性の66.1%が何らかの暴力を受けているという。
その原因としては、麻薬カルテルの横行などによる治安の悪さなども挙げられるが、ジェンダー問題として特に指摘されるのは貧困層の存在だ。
地理的に米国に近いメキシコは、政治的には独立していても経済的には米国が実権を握る新植民地主義的な体制に組み込まれており、経済格差が大きく、貧困層の割合が高い。
貧困層の男性は、女性を支配することで自分よりも弱い存在をつくり、アイデンティティを保とうとするため、マチスモになる傾向が強く、それが暴力という形で現れるのだという。
とはいえ、メキシコでは女性差別撤廃に向けた政策を取っていないわけではない。 むしろ、その点では日本よりも積極的だと言っていい。
メキシコでは貧困層にマチスモやマリアニスモが色濃く残る一方で、中間層・富裕層における女性の社会進出はかなり進んでいて、その女性たちが中心となってフェミニズム運動を起こし、これが広く市民運動に波及している。
そして2024年には初の女性大統領が誕生。 国会議員の50%を女性にする法律も制定されている。
メキシコはジェンダー・ギャップ指数ランキングで世界33位、日本は118位だ。 「ジェンダー・ギャップ指数」にはバイアスがかかっていて、鵜呑みにはできないということは承知しているが、少なくとも社会制度上においては、日本はメキシコよりもはるかに遅れているということは間違いない。(次ページに続く)









