現状を捉えるため最低限踏まえておくべき歴史的経緯
そもそもの「原因」について一切触れずに、直近の「結果」だけを取り上げるという記事や論説が、世に溢れ返っている。それはどうも、「今だけ・カネだけ・自分だけ」の三だけ主義で育ってきた世代がメディアの発言者や執筆陣の主力になりつつあることと関係がありそうで、このイラン問題もその典型の1つである。
「今だけ」というのは「歴史の没却」、何事も長い長い歴史的な経緯があってここに至っているのだということを忘れてしまうことである。そういう心理の下では、米国がイランを「核開発を秘密裏に進めて国際秩序に挑戦しようとしているならず者」と呼ばわるのを、「そうなんだろうな。イランの前近代的なイスラム教の狂信者たちが身の程知らずにも核兵器を弄ぶなんて、危ない、危ない」と、簡単に信じてしまったりする。
しかし、6月21日付東京新聞「本音のコラム」で師岡カリーマが書いているように、
▼モサデグ首相は、民主的に選ばれたイランの世俗派リーダーだった。
▼ところが石油の国有化を進めたため、アメリカの息がかかった1953年のクーデターで失脚、権力を握った親米パーレビ王朝は「世界で最も残酷な独裁政権のひとつ」と言われた。
▼その王政を打倒するために起こったのが1979年の「イスラム革命」で、今日に至る。
▼イラン現政権は確かに厄介な存在だが、イランが近年、イラクなど中東諸国で勢力を拡大する布石を打ったのは、米軍による2003年のイラク侵攻だ。しばしば中東の混乱の背景には、米国の身勝手と近視眼がある。
▼「イランは間もなく核爆弾を手に入れる」。イスラエルのネタニヤフ首相は、30年前からそう言い続けている。今回も、証拠は提示せずに、「間もなく」の主張を繰り返し、イランに大規模な「先制攻撃」を行った。……〔だがその〕イスラエル自身は核兵器を保有しているとみられている……。
最低限、ここに簡潔にまとめられている程度の歴史的経緯を踏まえて今の事態を捉えないと、まさに「今だけ」になってしまうのである。
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