ネガティブな効果が消せない若い世代の政治家の靖国参拝
さて、今回の「9.3サミット」ですが、このような「対日勝利」を取り上げた示威行動では、ロシアなどから「日本の軍国主義復活」という、これまたデタラメなコメントが流れるようになっています。これも非常に問題で、一つ一つ潰していかないと、いつの間にか大きな流れになったりする危険があります。スルーするだけでは安全は確保できません。
この問題に関しては、具体的に心配なのが靖国問題です。この問題には非常な危機感を抱く必要があります。現在のアメリカはトランプ政権で、人権外交にも西側同盟の結束にも興味がありません。また国連イコール連合国の正当性にも興味がありません。そんな中で、日本の閣僚などが靖国参拝することへの関心も薄くなっています。これを良いことに、また改革ができない中でイデオロギーを求心力にする際の安易な方法として、靖国参拝を行う政治家が後を絶ちません。
これは非常に危険な兆候です。例えば靖国問題については、歴史学者の與那覇潤氏がサンフランシスコ講和に関係のない中華人民共和国が東京裁判の結果を認めてくれることは、単純化であり「譲歩」だという説を立てています。
しかしながら、これは甘い見方です。今回の「9.3サミット」が象徴するように、上海機構の世界観としては、自分たちが本当は関係のない「連合国の正統性」を自分たちで独占するように動いています。戦争の手打ちを「東京裁判の結果」を踏襲して単純化してくれるのは譲歩ではなく、サンフランシスコ体制の横取りになっていると見るべきです。
その上で、戦犯合祀のされている靖国に参拝することは、「連合国との講和への侮辱」だというようなロジックで攻めて来られるのは、これは非常に悪質だと思います。だからこそ、靖国問題には慎重になるべきです。多くの若い世代の政治家は、戦犯合祀は問題ではなく、戦没者への追悼のために参拝するとしていますが、それでも参拝をすることは日本孤立化の陰謀に間接的に加担することになるという点ではネガティブな効果は消せません。
この問題に関しては、改めて昭和天皇と戦犯とその家族との間に交わされたであろう、黙契の問題を問いたいと思います。A級戦犯として絞首刑となった人々については、昭和天皇は自身の身代わりに犠牲になったという意識を持っていたと思います。また戦犯個々人は(獄死した白鳥、松岡というナチ内通者を除く)自分たちの死が平和の礎(いしずえ)となることを密かな自負として去っていったのです。
更に遺族は戦犯個々人の名誉回復を公的には求めないことで、連合国と日本の「停戦の手打ち」とすること、その責任、つまり沈黙を貫く責任を意識したのだと思います。
この全体、つまり昭和天皇は自分の身代わりにA級戦犯が処刑されたという事実を背負う、戦犯は平和の礎として無言の死を受け入れ、遺族もその名誉回復を求めず、昭和天皇の弔意については感じつつ一切口にしない、という黙契があった、そのように拝察がされます。
戦前の国のかたちは否定されるべきものですが、その中で昭和天皇が体現されていた帝王学、また武官文官の高位にあった人物において、自身の生死にかかわる出処進退はそうしたクオリティのものであったことは疑い得ないからです。
戦犯の一人ひとりは何も言わずに去ったのは事実ですが、自身の死が政治利用されることで他ならぬ日本国が孤立と危険へと追いやられることは、全くもって潔しとはしないと思います。
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