「8月15日」では不都合。なぜ中国とロシアは「9月3日」を“戦勝記念日”にしたがるのか?

 

どうして「8月15日」ではなく「9月3日」なのか

この2015年の式典は、2年前に主席になった習近平の権威を誇示するという政治的な意味合いが強かったわけですが、この頃から9月2日(または3日)という日を中国とロシアが重視するようになったのは重要です。

では、どうして8月15日ではなく9月3日なのかということですが、大きく2つの理由があると思います。1つは、両国は全く当事国ではないということです。第二次世界大戦で日本が戦った相手は、中華民国とソビエト連邦であり、中華人民共和国やロシア連邦というのは、当時は影も形もありませんでした。どうしてこの二国が戦勝国の側で政治的示威ができるかというと、ただ一つ前の国家から地位を法的に継承しているという理解があるからです。

戦争当事国でなく、戦闘の当事者でもない中では法的な勝利を法的に継承したということにしか正当性はありません。ですから、事実上の意味のある8月15日よりも形式的な意味のある9月3日を戦勝記念日にしたがるのだと思います。

もう1つは、これがいちばん重要なのですが、8月15日から9月3日に至るソ連の侵攻、つまり戦闘行為の正当性です。ソ連は日ソ中立条約のために、第二次大戦における太平洋側の戦線の当事国ではありませんでした。ですが、8月9日にこの中立条約を一方的に破棄して、満州と千島、樺太から一斉に対日攻撃を開始したのでした。

この攻撃は本来であれば、ポツダム宣言が受諾された8月15日で停止されるべきものです。何故ならば、ソ連の攻撃の根拠がヤルタ秘密協定という第二次大戦終結のためのスターリンとFDRの個人的合意に基づくにしても、それが第二次大戦終結のためであるのならば、ポツダム宣言に上書きされるからです。

ポツダム宣言を日本が受諾した以上は、連合国は戦闘行為を停止する必要があり、そうなると8月15日以降のソ連の侵略行為は正当性を喪失します。と言いますか、本来は正当性などないのですが、そこを一種の詭弁、つまり正式な戦争の終結は9月3日だということにして、以降の侵略について「一種の」正当化する、これが近年のロシアの姿勢です。

もっと厳密に言えば、ポツダム宣言というのは連合国の中の対日戦闘当事国である米英中の3カ国の首脳(トルーマン、アチソン、蒋介石)の名前で出されていますから、スターリンは関係ないという言い方も可能です。ですが、戦闘当事国でないので名前を出していないくせに、一方的にその後で戦闘を仕掛けているのですから、それで8月15日以降の攻撃も合法というのは自己矛盾もいいところです。

日本の立場としては、満州から朝鮮半島に関しては方面軍がそれこそ8月15日以前に逃亡を開始するなど、一部の正当防衛的な交戦を除くと、何もしなかった以上は問題は残らなかったということになります。ですが、樺太、千島については何よりも「日ソ中立条約の効力を信じていた」ことと、「ヤルタ秘密協定を知らなかった」こと、また「樺太と千島は植民地ではなく日本固有の領土」という認識もあり、一部の気骨のある司令官が応戦しました。

この1945年8月の日ソ間での戦闘については、特に8月15日から9月5日に至る3週間の状況については、第5方面軍の樋口季一郎司令官(陸軍中将)が、あくまで徹底抗戦を行ったことで北海道の防衛ができたという考え方ができます。樋口中将は「ヤルタ秘密協定」を知らず、ソ連が全くの火事場泥棒的に南樺太と千島を取りに来たとして、徹底抗戦したわけですが、仮にポツダム宣言どおりに武装解除していたら、釧路=旭川の東はどうなっていたかわかりません。

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