様々な場面で主張してゆく必要がある「重要な認識」
いずれにしても、このソ連による一方的な南樺太、千島の強奪については、日本側としては当時も現在も認めることはできないわけです。また、日ソ中立条約に加えて、当時の日本は「ソ連の仲介による連合国との和平」を模索していたという問題がありました。
これは、この近衛文麿が非常に前のめりになっており、近衛としてはもはや元総理というだけでなく、五摂家の一人として天皇家をどうしても守りたいという一心からの行動であったのかもしれません。この「ソ連の仲介による和平」というのは、ソ連側も一つのチャネルとして活用しようとしていたフシがあります。
近衛自身はGHQによる逮捕の直前に自決していますが、長男の文隆が、ソ連によって満州で拘束の後に抑留されており、日ソ国交回復後の56年まで収容所に入れられて最後は不審死しています。文隆に関するソ連の扱いには、近衛文麿の和平工作の重みを感じます。最後まで文隆を人質にするメリットがあったのか、あるいはどうしても口封じをしたい動機があったのか、解明が待たれます。
さて、戦争末期における日本の判断ミスとしては、とにかく「ヤルタ秘密協定」の問題があります。これは先ほども申し上げたように、スターリンとFDRの個人的な秘密の合意で、ヒトラー降伏の正確に2ヶ月後にソ連は対日宣戦するほか、南樺太と千島の領有を許す内容になっています。
この協定ですが、後のアメリカ政府は「FDRの判断ミスによる個人的な譲歩」であり、合衆国の公式な合意ではないとしています。ですが、合意は合意であり、日本の全く知らないところで、とんでもない話がされていたわけです。
ですが、実際は日本は知らなかったわけではありません。北欧を舞台に高度な諜報活動をしていた陸軍の小野寺信中将が、この情報をいち早く把握して、東京に打電していたのです。ですが、それこそ「ソ連の仲介」に前のめりになっていた東京はその情報を「握りつぶす」という判断ミスをしていたのでした。
従いまして、整理をすると日本側の認識としては、
1)第二次大戦の太平洋戦線においては、ソ連は敵国ではない。何故ならば日ソ中立条約が効力を有していたから
2)日ソ中立条約に関しては、1945年4月の時点でソ連側から破棄の通告があったが、通告後1年は有効なので8月の時点でも有効。従ってソ連の日本侵攻は条約違反
3)近衛工作によるソ連の仲介による和平を模索していたので、その「対ソ連の油断」を突いた侵攻は信義違反
4)したがって、8月9日から9月5日に至るソ連の攻撃は条約違反であるし、また第二次大戦の一部を構成しない。であるから、8月15日を過ぎた時点での第5方面軍の反撃はポツダム宣言に違反しない
ということになります。こうした認識は非常に重要であり、様々な場面で主張してゆく必要があると思います。主張ということでは「一貫性があること」「妥協しないこと」「論理矛盾のないこと」が必要です。
どうしてこの「ソ連参戦の違法性」という問題が重要なのかというと、これは南千島の返還問題について、日本の立場を堅持する上で必要です。そればかりか、近年のロシアが主張している「アイヌはロシアの先住民族」というデタラメで、同時に危険な主張を封じることと相まって、北海道の恒久的な安全確保という意味でも必要だからです。
ちょうど、本稿の現在では集中豪雨に被災したことで、北海道最北端を走る宗谷本線の「幌延駅=豊富駅」の区間が運休に追い込まれています。一部には、このまま路線の廃止が検討されるのではという噂もありますが、冗談ではありません。稚内という都市を守り人口と産業を維持することは安全保障上も重要です。全額国費で、路線復旧だけでなく、路線の安全な位置への移設と設備の強靭化が必要と思います。
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