一人では立てない自民の足腰の衰え
自民党は、1993年の宮沢喜一政権の崩壊、細川護熙首班の反自民・改革派連合政権の誕生によって「1955年体制の終焉」を宣告された過去の存在で、それ以後に我々が見ているのはそのゾンビに過ぎない。
ゾンビは足腰の衰えが甚だしく、一人では立つことも歩くことも出来ないので、必ず誰かに取り憑いて、その生き血を吸いながら生きながらえようとする。
その最初は、93年6月、細川後継の羽田孜政権の行き詰まりに際して、自民党が社会党の村山富市委員長を首相に担いで政権に復帰するという《自社さ連立》の超奇策だった。先日、101歳で大往生を遂げた村山さんは、首相を辞めてだいぶ経ってから「自社さ政権は自民党の政権復帰に手を貸したのかなあ」と述懐したそうだが、それは余りに気がつくのが遅過ぎるというもので、本誌は自社さ政権の発足前から、それが次には必ず自社さの枠組みの上に自民党の首相を担ぐ形になると予測した。
その通り、96年橋本龍太郎政権となって、その両脇を支えた【社会党】と【さきがけ】は、血を吸い尽くされて死滅した。
98年7月発足の第1次小渕恵三内閣は、ゾンビ化してからは初めて、自民党単独政権となったが、やはり長く立っていられず、わずか半年後には小沢一郎の自由党を呼び込んで《自自連立》、その10カ月後には公明党を呼び込んで《自自公》、その6カ月後の2000年4月には自由党が分裂して小沢らは去り、残った二階俊博らが保守党を作って《自保公》、やがて保守党が自民に吸収されて03年11月の第2次小泉内閣から《自公》となって(09年9月~12年12月の民主党政権時代を除いて)25年10月まで続いた。この間【保守党】は自民にパクリと食われ、それを早めに逃れたつもりだった【自由党】も自前では存続できず、03年9月に解党し、民主党に吸収合併された。
ここまで、ゾンビと連立を組んで与党の旨味に与ろうとした全ての政党は跡形もなく消滅した。唯一の例外が【公明党】だったが、それもついに離脱した。我慢して我慢して連立を続けたが、やはり生き血を吸われて体力が衰え、吸い尽くされて殺される前に逃げ出したということだろう。この想定外の事態に慌てたゾンビが抱きついたのが維新だった。
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