「高市首相」ではなく「この女」と言い放ったトランプ
今回の日米首脳会談で、高市は一方的にアメリカの得になる80兆円の投資などを約束した上に、ノーベル平和賞にトランプを推薦することまで表明し、媚びて媚びて媚びまくった。やっていることは安倍晋三と変わりはないのだが、それを女がやると、ここまで媚びへつらいや従属感が露骨に出るものなのかと、唖然とする以外になかった。
そして見逃してはならないのは、演説の中でトランプが高市を「This woman」と呼び、高市首相(Prime Minister Takaichi)とは言わなかったことだ。他のメッセージやスピーチでも、トランプは高市の名をほとんど口にしておらず、「woman」や「female leader」など、名前ではなく性別でしか語っていないらしい。
海外ニュース翻訳情報局の樺島万里子氏はXで、「女性首相を『this woman』と呼ぶのは異例だ。そこにはトランプ特有の――女性を一段下に見る癖が透けている」と指摘し、こう書いている。
――“This woman”。
この一言に、彼という人間の浅さと傲慢さが、見事に凝縮されている。そして――
その言葉を誇らしげに受け止めて舞い上がる高市さんの姿にも、別の意味で寒気がする。
まるで、有名人に会って喜ぶグルーピーのようだ。
日本の首相としてではなく、「トランプに気に入られた女性」としての自己満足。
その“鈍感力”こそが、いちばん危うい。
この見解は、わしの感覚にほぼ近い。
樺島氏の印象では「トランプの“This woman”は『この人』というより『この女(おんな)』と言っているような響き」だという。
もちろん、首相が男性だったら個人名を呼ばずに「This man」なんて言ったりするわけがない。女だから見下しているのは明白だ。
高市に一国の首相の自覚があれば、いや、それ以前にわずかでも「個人」としての矜持があったならば、その場で「This woman, no! My name is Sanae Takaichi!」と言ったはずだ。
だが高市は大喜びで飛び跳ねた。それは樺島氏が指摘する通り「『トランプに気に入られた女性』としての自己満足」の姿である。わしがあのシーンの高市にセリフをつけるなら、「あたい、サナエは大統領から、女って呼んでもらったよ!うれピギャース!」となる。
樺島氏はあの高市の姿を「グルーピー」と形容したが、わしに言わせれば、あれはもはや「●●●●」だ。
戦後すぐ、困窮した女性は●●●●になり、米兵と腕を組み、肩を抱かれてカラダを売った。敗戦国の女は、「マッカーサー様の子供を産みたい」とGHQに手紙を書いた。そんな姿とぴったり重なって見えるのである。
もしあんな姿を、大東亜戦争を戦った英霊や先人たちが見たら、どう思うだろうか?
高市は首相に就任して早速、毎年行っていた靖国神社の秋季例大祭参拝を取りやめた。おそらく首相に就任している間は、8月15日の参拝もしないだろうが、もう高市は二度と靖国参拝などすべきではないし、英霊たちも決してそれを望みはしないはずだ。
ところが日本の自称保守・ネトウヨたちは、この媚米外交を「大成功」と絶賛したのである。
敗戦国民は悲しいものだ。自国の女が戦勝国の男に媚を売る姿を見せつけられて喜んでいる。高市早苗がトランプの子を産めば、ネトウヨはもっと喜ぶのだろう。敗戦国の女は●●●●、男は従米ポチに成り下がるのだ。
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