小林よしのり氏も唖然。高市首相がトランプ相手に見せた国辱的な「異形外交」を絶賛するネトウヨに見る“敗戦国民”の哀れ

 

決して高市を好意的に評価しなかった「あの論客」

一方、決して高市早苗を好意的には評価しなかったのが、フェミニズムの女性知識人だ。

上野千鶴子は11月1日の朝日新聞のインタビューで「女なら誰でもいいという時代では、もうありません」として、高市の政策について「選択的夫婦別姓に反対しており、政策的には、ジェンダー平等への流れをせき止めようとした安倍晋三政権のコピーのような感じです。フェミニストが歓迎する理由はありません」と語っている。

そこはまだいいのだが、残念ながら上野は「世間の序列を作ったのは男性社会ですから、そこに参入することが目的とは言えません」と言う。

既存の男性優位社会、それも最も古い体質を残している政界に女が参入して出世するには、水商売のサバイバル術よろしくあざとい媚びを振りまいて「ホステス」になるしかないという状況は、確かにあった。

そして、それに最も迎合して生き抜いてきたのが高市早苗なのだから、フェミニストが反発するのは当然である。

しかしながら、それなら上野は、男性社会の序列がまかり通る政界に女性が参入すること自体を否定するのだろうか?

男性優位社会を変えるにも、まずはその既存の社会に参入して、戦って変革していく以外にないはずだが、上野にはその発想がないようだ。じゃあ、どうすればいいというのか?

上野はこう言っている。

「フェミニズムは、女が男のようにふるまいたいという思想でも弱者が強者になりたいという思想でもなく、弱者が弱者のままで尊重される社会を求める思想です」

女も男のようにふるまうべきとはわしも思わないが、女性も男性と同等に強者になれる社会は作らなければならないと思っている。政界にももっと女性が参入し、男に媚びるのではなく、男を従える強者になれるようにしなければならないのだ。

ところが上野は「女は弱者」であり、それは決して変わらないということを前提にして、「弱者が弱者のままで尊重される社会」を作ろうというのだ。

上野は女性のくせに、女は永遠の「弱者」だと思うなんて、恥ずかしくないのだろうか?

それに、「弱者が弱者のままで尊重される社会」を作るのなら社会主義を目指すしかなく、革命を起こす以外ない。しかも革命を起こしたところで、そんな社会は絶対にできないということは、とっくに証明されている。

ここに、フェミニズムの限界が完全に露呈している。フェミニズムは社会主義と一体化し、女性を永遠の弱者と認定している。そこで上野千鶴子のように、「男並みの強さより弱者の尊重を」という主張に堕してしまうのだ。

女性が永遠の弱者だなんてことは決してない。特に日本においては、歴史上に女帝の時代が存在するのだ。 これを描き出しているのがわしの『神功皇后論』であり、その重要性はますます大きくなっていくばかりである。

それにしても、わしと上野千鶴子、どっちが「女性の尊厳」を大切にしていることになるのだろうか?

高市早苗が首相になってからSNSでは、高市に批判的なことを書けば大炎上、褒めたり擁護したりすれば大絶賛という状態になっている。

山尾志桜里も高市擁護の発言を始めた途端、それまで「不倫」の問題で叩きまくっていたネトウヨたちがみんな絶賛に転じた。今まで何を言ってもバッシングされていた山尾にとっては、さぞかし心地よいことだろう。

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