「日米安保」という瓶の蓋が信認を失いつつある現実
では発言の内容についてはどうかというと、19年前の中川氏とはレベル的には似たようなものです。
- 中川氏(2006):非核三原則は尊重するが、核武装の論議はすべき
- 長島(?)氏(2025):NPTなどの問題はあり、非核三原則の変更は政治的に難しいので核武装は無理だが、個人的には賛成
内容こそ違いますが、100%核武装を推進しようというのではなく、オブラートに包んでおり、結論も引っ込めています。その引っ込め方の姿勢に、両者似通ったところを感じます。もっとも、今回の場合はオフレコ発言が一斉に出てしまったという違いがあり、100%確信犯とは言えないのですが、結果的に出てしまった言葉を消すことはできない中で、かなり類似の事象と言えます。
そうなのですが、北朝鮮の核問題が背景にあった2006年と比較すると、まず今回は高市氏の「存立に関わる」という発言に対して中国が反発を続けている中でのアドバルーンという違いがあります。その違いは、危機の方面が地理的に違うということもありますが、結果的に各国のリアクションがかなり異なった形になりました。
まずアメリカは、これは予想通り「しっかり」リアクションをしています。その内容は「日本は核不拡散のリーダーであれ」という実に優等生的なものでした。これは核拡散防止条約(NPT)の推進を行った佐藤栄作へのリスペクト、そして過去50年間の日本のNPTや国際原子力機関(IATA)への貢献へのリスペクトが感じられつつ、日本の核武装論を牽制する内容です。
これは、「駐留米軍の費用を出さないなら日韓から兵力を撤退するが、その代わりに日韓ともに核武装を許す」などというトランプ御大の「激しい発言」などは、まるでなかったかのような、懐かしい世界です。いゆわる「知日派」の国務省官僚が今でも生き延びていて、その仕事にルビオ長官がスッと承認サインを出したということなのだと考えられます。
一方で、驚いたのは、中国と北朝鮮が強く反発したことです。この中で、中国の反発は、高市総理の発言を軍国主義の復活だと勝手に警戒している延長にも見えますが、何よりも2006年の状況と比較すると、
「日米安保条約という瓶の蓋への信認が薄れた」
ということが言えると思います。これは、かなり深刻な問題です。核武装論議については、とりあえずは沈静化するとは思いますが、中国が「瓶の蓋」を信用しなくなったのであれば、これは大変です。もはや日本国内の「右派的発言」というのは、「瓶の中の、つまり国内向けの人畜無害な発言」という甘えが許されないということになるからです。
一方で、2006年の一連の騒動の結果が「六者会合の再開」になったことを考えると、今回の発言の結果の落とし所はどうかというと、恐らくは、
「高市総理は、これ以降の政権運営に当たって、核武装に肯定的な発言を行って右派世論に媚びることはできなくなった」
ということだと思います。国内的には保守的言動を継続的に行うことへの期待感があるにしても、とにかく「瓶の蓋」のない時代なのです。今回の騒動でそのことは痛いほど確認ができています。また、米国務省のスタンスは伝統的なものから変わっていないことも分かりました。ですから、以降は総理自身が危ない発言をすることはないし、世論もさすがにそれを期待はしないでほしい、ということになるのではと思われます。
全くの推測ですが、仮に発言を行ったのが長島氏だとすると、そこがアドバルーン(観測気球)のメインだと思います。後は、選挙区の保守票に媚びよう、小選挙区で何とか勝っていこうという計算もあったのでしょう。
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