高市首相が失った右派に媚びる“伝家の宝刀”。政府高官「核武装論」への“中国の過剰反応”が示す問題の深刻さ

 

「日本も核武装すべき」という国内世論の明らかな拡大

ただ、大きな懸念材料もあります。それは、日本の世論です。2006年の際には、発言の当事者である中川昭一氏自身が、「非核三原則は日本の世論との重たい約束」としていました。また、核武装の議論解禁という話題そのものに対しても、真ん中から左を中心に過半数の世論は反対していました。

ですが、現在はそうではありません。今回の発言と各国のリアクションに対しては、明らかに「日本も核武装すべき」という国内世論が拡大しているのを感じます。

こうなると、一番左には核禁条約批准派があり、真ん中にはNPT(核拡散防止条約)重視派(筆者など)があり、一番右には自主核武装論があるという格好で、日本の世論は見事に3つに分裂した格好になってしまいます。この問題に対抗するには、何よりも核禁条約とNPTが何らかの形で両立するという体制づくりが必要です。

勿論、この2つは全く違います。核禁条約は全ての核兵器の保有と使用を禁止しています。一方で、NPTは5カ国(国連の安保理理事国と一致します)の保有を認め、それ以外への拡散を禁止するものです。2つの条約は歴史的経緯も異なり、内容も異なります。ですが、核戦争を防止するという目的は共通のはずです。

そうなのですが、核禁条約推進派の側では、即時核廃絶を求める中で保有5カ国に対する批判を継続しています。主張は正当だと思います。ですが、政治的には「5カ国に廃絶を求める」ということを強調するあまりに、例えばイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮、イランといったNPTに背を向けたグループへの批判や廃絶要求が二の次になってしまいます。

その一方で、他でもない5カ国の一角であるロシアが、戦後初の具体的な核威嚇を行ったことで、NPTの権威が揺らいでいるという問題もあります。更に個別の問題としては、将来の全面核廃絶を遠望したことで、バラク・オバマ氏がノーベル平和賞を受賞したことへは、アメリカ国内での反発が明確になってもいます。

つまり、NPTにも核禁条約にも、一種の「冬の時代」となっているのは事実だと思います。また、日本国内に自主核武装論が拡大しているのも、そのような時代の危機感の反映という見方もできます。

ここからは、個人的な主張になりますが、だからこそ、NPTと核禁条約の連携ということが、今ほど大切な時代はないのではないかと思うのです。そう考えると、現在、この両者は水と油の関係です。核禁条約推進派は、とにかく合法保有の5カ国への批判をどうしても先行させがちです。気持ちは分かるのですが、5カ国の合法保有を批判するという態度は、5カ国がズルいので「自分たちも核武装したい」という主張に結果的に重なってしまう危険があります。

具体的に言えば、核禁条約派はアメリカへの批判が先行しがちです。その中で、NPT陣営が何とか食い止めようとした北朝鮮やイランへの拡散防止の努力はあまり見えません。そして、NPT陣営の日本政府は、「核兵器を非合法化すると、核の傘も非合法になり守ってくれているアメリカに失礼」というロジックで、核禁条約には距離を置いています。

この問題を何とか超えること、例えば日本政府の立場として、現在はNPT体制の側だが、将来的には、つまりプラハ宣言でオバマ氏が主張したように未来の核廃絶を遠望しつつ、核禁条約にはオブザーバー参加をするという可能性はあるのだと思います。アメリカの核の傘を重視する人は反対するかもしれませんし、核禁条約派は、核の傘を認めながらではオブザーバーとしても入れたくない、という話になるでしょう。

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