それは本当に「子どものため」なのか? 「大人のやりたいこと」を正義にする瞬間

 

僕は、娘の音読を聴く時間がとても好きだったし、娘も音読を聞いてもらえる時間を楽しみにしていたように思う。

「聞いてもらってないけど、サインして」

と言われたことがない。逆に、登校前に、昨晩母親に聞いてもらったのにサインしてもらうのを忘れていたときなどは、

「昨日ママに聞いてもらったけど、今いないから、パパ聞いてて」

と言って、サインをもらうためにもう一度読むようなことすらあった。

先生ならわかると思うが、音読をしてきたかどうか、いつもしているかどうかは、その「音読表」を見なくても、実際に音読をさせればわかる。

毎日、全部◎で、親のサインもちゃんと書いてあるのに、変なところ息継ぎをしたり、漢字の読み方がわからないなんて起こり得ないはずだ。

ところが授業ではその起こり得ないはずのことが起こる。

大切なことは、文章を読むのが上手になること、好きになること、理解できるようになることなのに、「忘れないこと」「怒られないこと」のために、サインだけして提出するようになるのだ。

馬鹿らしいことだが、結構みんなその無意味なことを続ける。

学年が変わり、先生が変わり、気がつけば音読の宿題がなくなっていた。

以前は本屋さんに行けば、

「音読用に本買っていい?」

とよく聞かれたが、音読の宿題がなくなってからそういう会話もなくなった。

個人面談のときに、僕の妻が先生に何気なく聞いたらしい。

「音読の宿題はもうやらないんですか?」

妻は僕以上に、子どもの音読を聞く時間を楽しみにしていた人だ。そして僕以上に「音読の大切さ」を感じている人でもある。

先生の答えはこうだった。

「いろんな親御さんがいらっしゃるので…」

「その時間が好きな人ばかりではない」ということなのだろう。

残念ながら、一日の5分間、テレビやスマホを止めて、子どもの音読を聞くのが「面倒くさい」と感じる親がいるということだ。

「どうして、親がそんなことに付き合わなければいけないんだ」

「俺は(私は)忙しいんだよ」

と考えている親がいるということだ。

この記事の著者・喜多川泰さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • それは本当に「子どものため」なのか? 「大人のやりたいこと」を正義にする瞬間
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け