それは本当に「子どものため」なのか? 「大人のやりたいこと」を正義にする瞬間

 

ちょっと伝わりにくいかもしれないがこんな感じだ。

「今日から、このクラスの担任になった喜多川先生です。よろしくね。

 喜多川クラスでは、毎日音読の宿題が出るからね。

 自分で読むだけじゃダメだよ。ちゃんとお家の人に聞いてもらって、評価とサインをもらってきてください」

そういった説明が初回の授業にある。

子どもが家に帰ってきて親に話す。

「お母さん、音読するから聞いてて」

「ん?いいけど、どうして?」

「新しい先生が音読の宿題出してるの。聞いたらこれに一言コメントしてサインして」

こんな感じだ。

協力的な親ならそれで十分だとは思う。

でも、親の時間も使うことになるのに特に説明もお願いもなく始まっていることに、よく思わない親もいるだろう。先ほどの音読表には一言コメントを書く欄があると言ったが、毎日僕も何かしらは書いた。そのコメントに対して先生から帰ってくるのは「見ました」という意味の名前のサインのみだった。もちろん全員分にコメントを書く時間などないのはわかっているから気にはしなかったが、授業参観や体育祭など直接顔を合わせたときに、

「いつも協力してくださりありがとうございます」

といった挨拶も特にはなかった。

「学校でやることだから」

「子どものためにやることだから」

というフィルターがかかると、お願いをする側に無意識のうちに、

「それくらいやってくれて当然でしょ」

という前提が生まれやすい。

僕は講演講師を仕事としているが、

「子どもたちのためにうちの学校に講演しに来てください」

とお願いされるとき、

「学校の行事なので、子どもたちのために、喜多川先生なら無料で来てくれますよね」

と言われることがある。

その人は、ドラッグストアに行って、ノートや鉛筆をカゴに入れてレジに行ったときに、

「学校で使うんです。子どもたちのためなんです。まさかお金とらないですよね」

と言ったことがあるんだろうか、と思ってしまう。

間違えてはいけないのは、それは「子どもたちのため」ではない。

「子どもたちのために、自分(その先生)がやりたいこと」だ。

自分がやりたいことにも関わらず、勝手に始めてしまい、それに相手を勝手に巻き込むことって普通、許されるだろうか。実は学校以外ではあまり行われていない。

「子どものため」

という印籠がそれを可能にしている。

そんなやり方で勝手に巻き込まれても怒らないとしたら、巻き込まれた側が、

「子どものためだから」

と納得をしているか、

「あなたの好きなことをやってくださいね」

と最初から信頼されているかどちらかでしかないーーー(メルマガ『喜多川泰のメルマガ「Leader’s Village」』2026年2月27日号より一部抜粋。興味をお持ちの方はぜひご登録ください、初月無料です)

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1970年生まれ。2005年「賢者の書」で作家デビュー。「君と会えたから」「手紙屋」「また必ず会おうと誰もが言った」「運転者」など数々の作品が時代を超えて愛されるロングセラーとなり、国内累計95万部を超える。その影響力は国内だけにとどまらず、韓国、中国、台湾、ベトナム、タイ、ロシアなど世界各国で翻訳出版されている。人の心や世の中を独自の視点で観察し、「喜多川ワールド」と呼ばれる独特の言葉で表現するその文章は、読む人の心を暖かくし、価値観や人生を大きく変えると小学生から80代まで幅広い層に支持されている。

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