それは本当に「子どものため」なのか? 「大人のやりたいこと」を正義にする瞬間

 

実際、僕も塾の先生をしてきたからわかる。そういう親は残念ながら一定数いる。

やりたいことがある。でも親の協力が得られずにそれをするのが困難である。

「音読」に限らず、そういうことはあるだろう。

ただ、

「だからやりません」

でいいのだろうか。

もしかしたらサイレントではあるけれども、

「音読の時間って大事だし、子どもの音読聞けるって幸せよね」

と考えている親が結構いるかもしれない。そこまでポジティブではないにしても、大多数は、

「子どものために協力するよ」

と思っているだろう。

「どうして私がそんなことやらなきゃダメなの?時間ないんだけど」

という考え方の人なんてほんの一握りでしかない。

だけど、声が大きい(威圧的である)が故に、その一部の人の言うことを聞いてしまっているとしたら、多くの人が迷惑を被ることになるのでは?

一部の非協力的な親のために、大多数の人たちの楽しみや学ぶ機会が奪われてしまうのは、やはりおかしい。

僕はやはり、その先生自身が「音読の時間は大事だ」と思うのであれば、それを授業で取り入れるべきだと思う。ただ、先生の側にもそれだけの強い意志はないのかもしれない。

「そこまで大事だとは思っていない」

「実は、毎日回収しているけど、それを細かく全員分見ている時間はない」

「ほんの少しでも親と揉めるのはめんどくさい」

というのが本音かも。

そのあたりは先生本人にしかわからない部分ではあるが、

もし僕が国語の先生なら音読の宿題は絶対に出す。

国語力の向上や学習習慣の獲得以上に、親子の時間を大切にしてもらいたいからこそ出したい。

もちろん、それを面倒がる親や非協力的な親がいるのはわかっている。

ただ、彼らが協力的でないのは、単純な理不尽ではなくもしかしたら先生の側に理由があるのかもしれないと思うことがある。

先生は、

「自分のやりたいことはやっていい」

と思い込んでいる人が多い。

「私はこうやる先生です」

という大前提で授業に入り、その指導を貫き通す。それが当たり前だと思い込んでいる。

この記事の著者・喜多川泰さんのメルマガ

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