「減点主義から大谷選手は生まれない」
日本という国を愛しているから言うのですが、日本は未だに「減点」社会です。
その実体は、教育における評価が「テストで間違いが少ない者が優秀である」というシステムに過度に依存していることを見れば明らかです。
その生徒や学生が「いかに素晴らしいものを創り上げたか」あるいは「素晴らしいパフォーマンスを達成したか」で評価されることは希なのです。
「無事これ名馬」などという諺もありますから、失敗をしないことも確かに美点の「ひとつ」です。
しかしそれは過去のもの。
19世紀風産業社会や20世紀風社会主義国家を支える「官僚」たちに必須の美点なのです。
残念ながら、AIとロボットが産業や社会生活の基盤を支える21世紀においては、それは必須の美点ではありません。
むしろ大切なのは、人間が自分の頭で考え積極的に行動することであり、行動を通じて新たな可能性や感動を「創造」することなのです。
失敗が少なく、減点法のテストでは常に好成績、しかし、何かを創らせればありきたりの退屈なものしか造れず、これといった夢も無い、そんな学生をいくら集めてみたところで、日本の未来はお先真っ暗です。
かつて安倍晋三首相は「再チャレンジ社会」の構想を打ち出しました。
日本にはもっと本物の「起業家」が必要だからです。
安倍氏は、新しいことを成功させるには失敗がつきものであることを踏まえ、何度失敗しても、逞しく挑戦を繰り返すことが可能なように、社会的な「セーフティーネット」を整備しようと考えたのです。
安倍晋三氏の暗殺と共に、あのプランも消されてしまったのでしょうか?
いや、そんなことはないと思います。
江戸期の庶民文化を見れば分かるように、実は日本人は、「チャレンジ精神」が旺盛で、面白いもの、奇妙なもの、新しいもの、洒落たもの、が大好きなのです。
そろそろ「減点社会」をやめる時期ではないでしょうか。
野球でたとえるなら、3打席の内、2打席が「三振」だったとしても、残り1打席で「ホームラン」を打てば、その人は立派な「打率3割打者」であり、「打点」だって稼げるし、「ホームラン王争い」にも参戦できるかもしれません。
ところが「減点主義者」は、その人が2回も三振したからスタメンから外せ、と主張するのです。
もしもそんな人が監督なら、そのチームは最下位になり、監督も首ですよね。
事程左様に「減点主義」は今の時代には合わなくなっているのです。
こうしてみると、日本が明治以来の「官僚主導国家」から脱け出すことと「減点主義」への訣別はセットなのかもしれません。
昨今の若者たちの政治的な感性や思考の柔軟性を見る限り、こうした変革はさほど遠くないであろうと私は予測しています。
だって、大谷さんたちのような選手が大リーグで大活躍できる時代がもう来てしまったのですから。
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