AI時代に「教養」が逆転する理由
・「すぐに役立たない教養」
どうやら、私たちは時代の転換点にいるようです。
時代が変われば「常識」も変わります。 これまで「無用」だったものが「有用」になるのです。 しかし、多くの人々は、変化を嫌います。 その結果、かえって、古い「常識」にしがみつき固執するのです。
そんな社会常識は、さっさと捨てた方が「自由」になれるのに、その方が、もっと「楽」に「気持ち良く」生きられるのに、自分で自分を縛ってしまいます。 老人だけではありません。若者も例外ではないのです。
その背景には、投資の利益をすぐに求める金融資本主義(ハイエナ資本主義)が幅を効かせていること、それに、メディアの洗脳もあるのでしょう。 何かと言えば「コスパ」を気にする現代の若者は、「すぐに役立つもの」といった「目先の利益」を重視しがちです。
その結果、大学の専攻学科を選ぶ際も、自分の好みや興味は無視して、就職や「資格」に有利な「実用的な学科」を選んでしまいます。 ですから、英文学科、仏文学科といった「文学部」の志望者は激減して、純粋な「文学」や「芸術」「哲学」などを専門とする学科は軒並み縮小、廃止の憂き目に遭っています。
しかし、単なる「趣味の世界」、知的な「ゆとり」、貴族的な「教養」として「無駄」の烙印を押された「一般教養」系の諸科目こそが、実は新しい時代には必要とされるのです。
これまでホワイトカラーが担って来た規則づくめの仕事をAIが肩代わりする時代にあって、「人間ならでは」の大切な役割とは何でしょう? それは自由な創造力を身に付け、人類の知的・文化的遺産を我がものとして体現した「教養人」としての役割です。 ですから、一見無駄のように見える「一般教養系諸科目」こそが、その人の「人間的な器(うつわ)」を拡げ、「創造力」を豊かにし、新しい時代を切り拓く智慧の源泉を育てるために役立つのです。
文科省なども、「百年の計」に立ち帰り、こうした「すぐに役立たない」知識や教養が、長い目で見れば社会を豊かにし、人々の人生を充実させる、ということを再認識するべきです。 実用的なことや規則に従った仕事は全てAIにまかせて、人間はもっと人間らしい「価値」を追い求めて楽しく生きれば良いのです。
とりあえず、流行や社会常識に囚われず、自由に生きましょう。 それが、自身の幸せのため、さらには「世のため人のため」になるのですから。
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