■典型的な「合意はしたが履行はしない」という構図
しかし、その思惑は外れつつあります。イラン側はむしろ強硬姿勢を強め、海峡開放に応じる条件として、米軍の攻撃による損害への補償や、イラン関連船舶を対象とした海上封鎖措置の解除など、6項目の要求を発表しました。
これらはアメリカ側にとって受け入れがたい内容で、CSISの中東専門家は同紙に対し「トランプ大統領が面目を保ったまま紛争から抜け出すことがますます困難になった」と分析しています。
イランの態度が軟化するには大規模攻撃の再開しかないとの見方もありますが、アメリカ軍の兵器の枯渇に加え、中東地域におけるこれ以上の混乱を避けたい湾岸アラブ諸国の賛同も得られず、選択肢が尽きつつあるのではないかとも考えられます。
イラン国内では強硬派の存在感が増しています。最高指導者モジタバ・ハメネイ師は8月9日、国防・外交を統括する最高安全保障委員会(SNSC)の事務局長に、革命防衛隊の元司令官で強硬派のモフセン・レザイ氏を任命しました。レザイ氏はイラン・イラク戦争を指揮した人物で、ホルムズ海峡の閉鎖を「数十発の核爆弾よりも重要だ」と述べるなど、アメリカとの対決姿勢を鮮明にしています。
この人事を受け、革命防衛隊内の主戦論がより強まるのではないかとの見方も多く聞かれます。なお、この人事に先立つ8月8日、それまで事務局長を務めていたゾルガド氏は、海峡開放にはアメリカ側による攻撃停止に加え、攻撃で生じた被害への賠償金支払いも条件だと発言しており、イランとオマーンの協議が進むこと自体は、海峡の開放とは同義ではないと改めて釘を刺していました。
交渉理論の観点から見ると、これは典型的な、合意はしたが履行はしないという構図です。
合意文書にサインさせることと、実際に相手に行動を起こさせることの間には、大きな溝があります。イランは航路案という入口の合意を演出しつつ、賠償や封鎖解除という出口の条件を積み上げることで、時間を味方につけようとしているように見えます。アメリカが求めているのは面目を保ったまま矛を収めることですが、その面目こそがイランにとって最大の交渉材料になっているのです。
ホルムズ海峡は、ペルシャ湾岸諸国で産出する原油の重要な搬出路であり、日本に来るタンカー全体のおよそ8割、年間にしておよそ3,400隻がこの狭い海峡を通過します。毎日1,700万バレルもの原油がここを通るという事実は、日本のような資源輸入国にとって、遠い中東の出来事が翌週のガソリン価格に直結することを意味します。
交渉の世界でよく使われる言葉に、BATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement、交渉が決裂した場合に取り得る最善の代替策)というものがありますが、イランにとってのBATNAは封鎖の継続そのものです。
「封鎖を続けている限り、国際社会、特にアメリカに対して常に揺さぶりをかけ続けることができる」
そう考えているからこそイランは、急いで海峡を開放する必要性を感じていないのだと見ています。
もちろん、海峡の閉鎖や制裁の継続によって、イラン自身の経済的な痛みも大きく、決して余裕を持って持久戦に臨めているわけではないことも、付け加えておきたいと思います。
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