“福岡県議会のドン”が議員辞職の衝撃。麻生太郎との長きにわたる「仁義なき戦い」の影で福岡市長「不出馬」宣言の“やせ我慢”

 

福岡政界で繰り広げられてきた激しい代理戦争や主導権争い

いずれにせよ、当選確率100%の高島氏が出馬をとりやめるのだ。今後の身の振り方について明確なビジョンがあるはずである。

高島氏の今後の動向を占ううえで欠かせない要素が、福岡政界の特殊な勢力図だ。それを説明するのに、しばしば「福岡三国志」という言葉が使われる。かつては、麻生氏(筑豊)、古賀誠氏(筑後)、山崎拓氏(福岡)の三人の覇権争いとして語られてきた。古賀、山崎氏の引退後の「新三国志」では、武田良太氏(豊前)と蔵内氏(筑後)が台頭し、麻生氏に対抗して福岡政界への影響力を競ってきた。

麻生氏と蔵内氏の戦いが鮮やかに表面化したのは、2011年4月の福岡県知事選だ。自民党福岡県連は県議団会長の蔵内氏を候補者として内定していたが、麻生氏がそれに異議を唱え、麻生内閣や民主党政権の鳩山、菅内閣で広報官をつとめた小川洋氏の擁立を強く求めたため、蔵内氏はやむなく立候補断念に追い込まれた。

蔵内氏は2001年に県議会議長となり、自民党県議団会長を同年から12年間にわたってつとめ、県の政界に確固たる地位を占めるようになっていた。それだけに、知事選辞退のさいの屈辱の大きさは想像に難くない。

その後、福岡県内の知事選や大型選挙で、保守分裂が起きるたびに、武田氏を含む3者の思惑が絡み合い、激しい代理戦争や主導権争いが繰り広げられてきた。

蔵内氏と県議会主流派の発言力が絶頂期を迎えたのは、病気辞任した小川前知事の後継を争った21年の県知事選で、蔵内氏が擁立した現知事、服部誠太郎氏を勝利に導いたことだった。

以来、服部知事の背後で糸を引き、県政を自在に操った蔵内氏。県議会の贅沢三昧の海外視察が繰り返されるなど、県民不在の議会運営が続いたのも、その驕りが招いたものだった。だが、西日本新聞の独自調査により、海外視察にかけてきた経費があまりに法外であることがわかり、地元テレビ局が後追いして報じるなか、金銭授受疑惑が発覚した。

その“告発者”となった吉松源昭氏は、まごうことなき“麻生派”の県議である。24年10月の衆院選(福岡4区)に、蔵内氏ら県連主流派の推す宮内秀樹氏と公認争いを演じた末、無所属で出馬し、選挙後に自民党を離党した経緯がある。その背後に、蔵内氏の力を削ごうとする麻生氏の存在があった。

現在、吉松氏とともに「自由と繁栄の会」という会派を組む中村明彦氏も麻生氏の配下だ。25年4月、蔵内氏が異例にも2度目の県議会議長に就任したさい、反対意見を述べたことから、蔵内氏の怒りを買った。蔵内氏は会派を解散したうえで新会派を結成、その会合に中村氏を呼ばず、まんまと“ムラ”から追い出した。

こうした事実を時系列で眺めてみると、吉松氏が議長や副議長ポストをめぐる金銭授受問題を暴露したのも、麻生派と蔵内派の政争の一環とみることができよう。

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