なぜ性犯罪がいじめ問題になされるのか?
“三重県四日市市の私立暁学園暁高で2022年、当時3年生だった女性が交際相手から性的暴行を受けたと訴え、いじめ重大事態に認定された問題で、女性が元交際相手や学校などに苦痛に対する慰謝料として計2990万円を求め、津地裁に提訴していたことが28日、関係者への取材で分かった。3月31日付。9月14日に第1回弁論が開かれる。
女性は、交際していた男子生徒から屋外や校内で20回以上、性的暴行を受けたと訴えている。学校の第三者委員会がまとめた報告書によると、人が出入りする可能性がある場所で行われ、心理的負担になったと認定。その後心的外傷後ストレス障害と診断されており、いじめに該当すると結論付けている。”共同通信2026/8/28 引用
こうした被害もニュースを読めば、「いじめ重大事態として認定され」などと表記されている。いじめ関連の専門家として、私のところにメディアから意見を聴きたいという取材があったりする。
その都度、いじめ防止対策推進法上のいじめの定義は、カバーする範囲が広いので、他に適法がなく、いじめ防止対策推進法を根拠にして組織が動き、専門委員の予算をつけたりするわけだから、行政において根拠法があることは原則だろう。そうでなければ、私的に気分で何でもできてしまうわけだ。実際やっているところもあるが。
話を戻し、こうした致し方ない機能的問題について、しっかり考えて欲しいと言及するに私は留めている。
なぜなら、そもそも事件は憎むべき、卑劣な犯罪であり、それを学校や教育行政で適法がないから、いじめ防止対策推進法でということに問題があると認識してほしいのだ。
法律を作ることが政治家の仕事であろう、議会の仕事であろう。問題が起きてから立法の問題が顕在化し、どうしても後手で法律ができるということは致し方ない事であろうとは思うが、立法が遅れすぎ、見送られ過ぎてやしないか。
議会で居眠りをするほど激務なのかもしれないが、国民市民が見たいのは、当選するために選挙を頑張る姿ではないし、実際は旅行のところを視察だと言い張る姿でもない。立法したり行政の監視をしたり、事業に取り組む姿であろう。
ちなみに、いじめ防止対策推進法にはこういう条文がある。
法23条6 学校は、いじめが犯罪行為として取り扱われるべきものであると認めるときは所轄警察署と連携してこれに対処するものとし、当該学校に在籍する児童等の生命、身体又は財産に重大な被害が生じるおそれがあるときは直ちに所轄警察署に通報し、適切に、援助を求めなければならない。
学校は治外法権ではない。外で起きたら通報する問題は内で起きても通報すべきである。
これを、校長などが問題発覚を恐れ、通報しないなどの問題こそが、隠ぺいであるわけだ。
加害者にとって最も怖いのは、こういう責任者の言葉だ。「私は刑法犯、犯罪行為等が起きたら、前後事情関係なくすぐに通報します。」
そして最も怖くないのはよく聴くこういう言葉だ。
「君たちは何であれ、私の大事な生徒だ。学校で起きたことは学校で対処するのが原則、犯罪行為であっても人は過ちを犯すのだ。許すことから始めよう。」
お花畑でちっちした~♪のバックミュージックが流れてきそうなほど脳内お花畑世界が広がるボケた思考は、早々に捨ててもらいたいところだ。捨てられないなら、職を辞してもらいたい。
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