今年5月28日、ガンとの壮絶な闘いの末、
今回は、「ひとりでも多くの方々に、今井さんの俳優人生の、
今井雅之さんから教えてもらった、比類なき「熱」
今井雅之さんが、逝ってしまいました。
あまりにも早く。
54才でした。
もう少し長く、生きていてくれると思っていました。映画を撮りたいと言っていた秋まで…、いや、5月31日の沖縄公演の日までは…。
しかし、闘病中の今井さんの姿を見ると、もう本当にギリギリのところ、限界の状態で辛抱していたのだと思います。
今井さんの周囲の方々の言葉によれば、この1ヶ月間も、生きてられたことが「奇跡」だったと。
1ヶ月前の4月29日。僕は、東京都三鷹市の某稽古場に向かっていました。
舞台「THE WINDS OF GOD」の陣中見舞い、というのが理由ですが、今井さんに会うために、急遽、帰国したのです。
この日は、おそらく皆さんがテレビでご覧になった、今井さんの「末期がん公表会見」の前日でした。
渾身の会見でした。降板の悔しさが滲む、辛さが胸に突き刺さるほどに伝わる、しかししっかりと責任を果たそうという、渾身の会見でした。
今井さんは冒頭、会見の席に歩み出る際、律儀に立礼をしましたが、本当は、もう立てないほどの状態だったのです。
声も、しっかりと出し、モルヒネの痛み止めを射ちながらも、言葉も明瞭でした。
プロの意地と、責任と、誠意に溢れた、すべてを振り絞る会見だったことは、皆さんにも伝わったはずです。
前日の三鷹市の、最後の通し稽古リハーサルでは、ほとんど声を出すのは抑え、静かに俳優たちを見つめていました。
声を出すのも大変なほど、ガンとの闘い、で体力を奪われていたのです。抗がん剤による治療は、睡眠と食欲を奪ってしまっていたそうです。
かつての想い出の中にある、あの強靭で、ごつい、力強い肉体と声量と迫力の今井さんとは見紛うほどに痩せ細っていました。
それでも、会見で語っていたように、ガンを克服し、身体を良くして、俳優業を続けていく、という決意は本物で、僕が少し早い時間に稽古場に到着した時には、他の俳優たち(出演キャスト)よりも早く、すでに今井さんは姿がありました。稽古場の端に置いてあった自転車を漕いでいたんです。
立っているのも辛いはずなのに、首からタオルをかけて。
本気でリハビリしていたんです、もう一度舞台に復帰するために。
「本気」でした。
僕が今井さんにお会いするのは、実に、15年ぶりでした。
「THE WINDS OF GOD」の舞台(1999年)を去り、たしか翌年だったか、Vシネマの「餓狼の掟」という作品で共演させて頂いて以来でした。
それだけの時間が過ぎていました。
「今井さん、ロサンゼルスから戻ってきました。稽古と、初日の公演も見せて頂こうと思っています」
と伝えると、
「もっと元気な時に会いたかったよ…」
と、おっしゃいました。声の細さにも、少し驚きました。
「これで99年のメンバーはみんな来たな…」(※ 99年は、NY公演に2ヶ月間挑んだ年)
「頑張ってくれよ、俺も頑張るよ」
と、続けて話してくれました。
この日はじっくり、奈良橋陽子さん(今井さんの演技の師であり、僕の師でもあります)と今井さんが2人で「THE WINDS OF GOD」の現メンバーの稽古の演出をされる姿を見学させて頂きました。
今井さんは、ほとんどの時間を静かに、あまり動かず、時折、痛さが伝わるような咳を堪えながら、稽古を見つめて座っていました。それでも、重要な局面では、しっかりと指示の声を俳優たちやスタッフさんらにかけながら、通し稽古を進めていきました。
稽古が始まる前には、偶然同日に訪問していた過去の出演メンバーの僕たち数人を、ひとりひとり、現・出演メンバーの皆さんに紹介までしてくれました。
今井さんの優しさと、現・メンバーたちの熱い空気と気迫、懐かしい俳優たちの再会の喜びが、稽古場に満ちていました。
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