厳しすぎる就職活動をなんとかくぐり抜け、やっとのことで社員の座を手に入れた氷河期世代。そんな彼らも40~50代となり、部下たちを牽引・指導する立場に置かれている向きも少なくない。
「いわゆる“Z世代”と言われる若い社員には、仕事を滞りなく進めるためのアドバイスが通じているのかどうか、ちょっとわからないと思うシーンも結構ありますね」
と話すのは、氷河期世代である40代後半の製造メーカーに勤める課長職男性。その上、何をやるにしても「ハラスメント」に該当しないかどうか、日々ビクビクしている同僚も少なくないと言う。
「義務を果たさないで権利ばかり主張するZ世代にうんざりして、できることなら関わりたくないなんて話している同僚もいるくらいです」(同前)
そんな中、新たなパワハラとして登場してきたのが「マルハラ」だ。
「文末が『。』で終わっている文章を受け取ると、『送り主が怒っているんじゃないか』といった恐れや威圧感を抱くという人がZ世代の中には多いということらしく、マルハラスメント、略して“マルハラ”という言葉がメディアで取り上げられています」(40代男性ネットメディア編集者)
新入社員時代はサービス残業を強いられ、上司からは激しい叱責とともに暴言を受け、時には殴られ灰皿を投げつけられ、無理やり連れて行かれた居酒屋で一気飲みを強要されるなど、現在の基準では考えられないパワハラ、というよりも明らかな犯罪的行為に耐え、ようやく自身が上司と呼ばれる立場となった氷河期世代。我慢に我慢を重ねてきた彼らだが、今度は文末に句点を打つことさえ許されない、というのだろうか。
ネットユーザーは「マルハラ」をどう受け止めたか
このマルハラ、ネット上ではどのように受け止められているのだろうか。
《ただの句点をハラスメントとかいう若者のほうがハラスメントだろ。ワカハラだ》
《。をハラスメントと感じるやつなんてほっとけ。》
《普通の文章に圧を感じるって意味わからないしおかしい》
おおむね以上のような「理解に苦しむ」といった書き込みが多く見受けられた。前出のネットメディア編集者も言う。
「マルハラ自体がメディアの創作という可能性も高く、仮にそんな若者が本当に存在すればの話ですが、たかが『。』の有無を気にするのならばZ世代は実に軟弱と言わざるを得ないでしょう」
この意見に大きく頷く氷河期世代以上の社会人は多いだろう。さらにSNSにはこんな書き込みもある。
《上司がそんなお子様のわがままに合わせる必要などないし気にしてたら仕事が回らない》
《。にプレッシャーを感じるのは親の教育のせいだろうから家でどうにかするのが筋合いじゃないのか》
《そんなことは会社や上司の知ったこっちゃない。これからもマルつけてメール送る。》
どれもが至極真っ当な「ご意見」と言えるだろう。
「。」がパワハラ認定されないと言い切れるワケ
中には、ある意味「斬新」な受け止め方もある。前出とは別のマスコミ関係者の40代男性デスクはこのような“私見”を語ってくれた。
「文末に『。』とつけるのは正しい日本語ですし、社内のパワハラホットラインも裁判所もパワハラ認定することは絶対にできないでしょう。にも関わらず、『。』に威圧感を抱いてくれるというのは逆に便利、と言えるかもしれません」
いったいどういうことなのだろうか。同男性は、まず公的なパラハラのガイドラインを確認すべし、と言う。
厚生労働省の「パワーハラスメントの定義について」によると、「優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること」「業務の適正な範囲を超えて行われること」「身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること」の3つの要素のいずれも満たすものがパワハラとされる。
「この定義によれば、『。』をつけた文章を送ることはパワハラではありません。あくまでジョークとして受け取っていただきたいのですが、これを圧と感じてくれるのなら“合法的”にZ世代に緊張感を与えることができるとも考えられますよね(笑)」(同前)
「あくまでジョーク」として話してくれたが、上から下から「やられっぱなしの氷河期世代」には、こうした発想の転換も必要なのかもしれない。
では、万が一「。」がパワハラ認定されたとしたら、社会はどのような事態に陥るのか。考えられるのは以下のような「大混乱」だ。
社内メールはすべて「。」の使用が禁止。句点のない文章は読みづらく、何を書いているのか理解するのが困難になる上、うっかり「。」をつけてしまったが最後、パワハラ認定がなされ、会社を追われる上司も出ることになる。
最悪の場合、固有名詞である「モーニング娘。」と表記することさえも怯えるという状況になる。
「。」がパワハラと認定されることはありえない、と言い切れるだろう。
とある会社の「カオス」な社内チャット
ここで、あるエピソードを紹介しよう。絶対匿名を条件に取材に応じてくれたのは、中小の採用系企業に勤務する人事担当の50代男性だ。
「我が社の社内チャットには、社長や役員のほか、管理職や若手もおおむね加入しているのですが、役職が上であればあるほど『感謝の言葉』とともに『絵文字』を多用しているんです」
それだけ聞くと、「若者ウケ」を狙ったおじさんによる痛々しい行為に見えるが、そういう類のものではなく、よくバカにされる「おじさん構文」とはまったく別のものだと語る。
「社長や役員から、幹部や平社員に当然厳しい指示が飛ぶんですが、その末尾にはもれなく『ぺこり』と頭を下げるといったような、へりくだった絵文字がついているんです」(同前)
そう言って、こんな例を上げてくれた。
《お願いできますか🙏》
《ありがとう🙇》
《感謝です😊》
なぜ彼らはこうした絵文字を入れるのだろうか?
「会社側の対応の善し悪しに関わらず、今どきは一定確率でパワハラの訴えが出るものですし、チャットのスクリーンショットも確実に撮影されてしまいます。それを見越した“リスクヘッジ”として絵文字を使うんです」(同前)
曰く、何かあったときに「威圧するつもりはありませんでした、これは強制したわけではありません、だってほら絵文字もつけているじゃないですか」と主張できるように、どんなメッセージにもとりあえず絵文字をつけるのが“スタンダード化”しているというのだ。
「その結果、社内チャットは『内容はエグすぎる指示なのに、表現だけはほんわかしたメッセージ』が乱れ飛んでいるのが現状です」(同前)
笑えるような笑えないカオス。この会社においてこれから「。」はどのように使われていくのだろうか。
EC企業に務める20代男性に話を聞いたところ、「普段から絵文字を使っている人が、突然文末に『。』をつけてきたらちょっと怖いかも」と話してくれた。
もしかすると上記の採用系企業では今後、意図的な「。」の使用という“テクニック”が普及するのかもしれない。