本田宗一郎といえば、ビジネスマンで知らない人はいないカリスマ的存在です。彼の情熱あるモノづくりは、どのようにして生まれたのでしょうか。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、「シビック」や「アコード」などのデザインを手掛けてきた岩倉信弥さんが語る「本田宗一郎から受けた薫陶」について語ったインタビューを紹介しています。
本田宗一郎「いいものをつくるには、いいものを見ろ」
モノづくりへの並々ならぬ情熱で時代を切り拓いた本田技研工業の創業者の本田宗一郎。
1970~80年代にかけて「シビック」や「アコード」などのデザインを手掛けてきた岩倉信弥さんに、本田宗一郎から受けた薫陶や、「怒られて掴んだ」モノづくりの極意をお届けします。
─────────────────
<岩倉>
本田宗一郎さんはいつもしつこいくらいに「いいものをつくるにはいいものを見ろ」とおっしゃっていました。
ある時、こんな苦い経験をしたことがあるんです。「初代アコード」の四ドア版をつくっていた時のことでした。
僕らのデザインチームは、四ドアを従来の三ドアの延長線上に考えて開発を進めていた。ところが本田さんは、「四ドアを買うお客さんの層は三ドアとは全然違うぞ」と言って憚(はばか)らない。ボディは四角く、鍍金(めっき)を付け、大きく高そうに見えるようにしろと言われるのです。
僕は内心、そんな高級車はよその会社に任せればいいと考えていました。
ほんの気持ち程度の対応しか見せない僕らに、本田さんは「君たちはお客さんの気持ちが全然分かっていない。自分の立場でしかものを見ていない」と日ごとに怒りを募らせてきます。毎日よく似たやりとりが続き、我慢の限界を感じた僕は「私にはこれ以上できません。そんな高級な生活はしていませんから」と口にしていました。
本田さんはそれを聞くなり「バカヤロー!」と声を荒げ、「じゃあ聞くが、信長や秀吉の鎧兜や陣羽織は一体誰がつくったんだ?」と言われたんです。
大名の鎧兜をつくったのは、地位も名もない一介の職人。等身大の商品しかつくれないのであれば、世の中に高級品など存在しなくなる。自分の「想い」を高くすればできる。心底その人の気持ちになればできるんだ。
つくり手は、その人が欲しいのはこういうものだということが分からなければダメなんです。想像する力ですね。像を想う。その人になり切る。それができなければよいデザインは生まれない、と教えてくださったんです。
image by: Basel Al seoufi / Shutterstock.com









