歴史を紐解くと、経済の混乱が戦争を引き起こす恐ろしい構図が見えてきます。かつてアメリカが強行した「高関税政策」は、自国を救うどころか世界貿易を7割も減少させ、ナチスの台頭を招く決定打となりました。一国の保護主義は、いかにして地球規模の悲劇へと繋がったのでしょうか? 今回のメルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』では、元国税調査官・作家の大村大次郎さんが、スムート・ホーリー法が招いた経済崩壊と、第二次世界大戦へと突き進んだ当時の生々しい裏側を詳しく解説します。
世界貿易を縮小させたスムート・ホーリー法とは?
前回まで、戦前の世界経済はアメリカが高関税政策を採ったために、世界大恐慌が起こったことをご説明しました。今回はその続きです。
世界を大恐慌に陥れたアメリカは、さらにその被害を甚大にさせる政策を行います。ニューヨーク・ウォール街での株価大暴落の翌年の1930年6月、アメリカはスムート・ホーリー法を成立させるのです。スムート・ホーリー法というのは、アメリカの輸入に関して約20,000品目の関税を大幅に引き上げる、というものです。これは世界大恐慌によって打撃を受けたアメリカの農業を救うということが目的でした。
このスムート・ホーリー法によって、1932年にはアメリカの実質的な関税率は60%にも達したと見られています。
当時、すでにイギリスが日本のインドへの綿製品輸出に高関税を課すなど、世界の保護貿易化は始まっていました。が、これほど大々的に、強烈に保護貿易政策を打ち出したのは、アメリカのスムート・ホーリー法が初めてです。
報復の連鎖が招いた世界貿易の崩壊
当然、アメリカに輸出をしていた国々は、大きな打撃を受けました。もちろん日本も、です。そして、アメリカのこの処置に報復するため、世界各国が関税を引き上げました。そのために世界貿易は大きく縮小し、世界中の国々の経済が混乱、疲弊したのです。
たとえばイギリスは、このスムート・ホーリー法への対抗処置として、1932年にオタワ会議を開催し、イギリス連邦以外の国に対しては高い関税を課すことを決定しました。ほかのヨーロッパ諸国も、次々に同様の対策を講じます。1931年8月には、フランスが輸入割当制を実施し、輸入を制限し始めました。同年9月にはポーランドが関税を100%引き上げ、続いてイタリアも関税を15%引き上げました。これにたちまちヨーロッパの10カ国あまりが追随したのです。自由貿易をうたい文句としてきたオランダでさえ、25%の関税引き上げを行ったのです。
また英仏など植民地を持つヨーロッパの国々は、植民地との経済圏を形成し、排外的な貿易政策を敷きました。ここで世界貿易は、高い関税化、ブロック経済化してしまったのです。
1929年から1933年までの4年間で、世界の貿易額は7割も減少しました。各国経済は深刻な不況に見舞われ、世界各地に失業者があふれたのです。そしてドイツにはナチス政権が誕生し、アジアでは日本が中国大陸に兵を進め始めたのです。
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