美しいだけじゃない。「桜」が日本の象徴とされている本当の理由

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桜が日本の国花であることはご存知だと思いますが、世界的に見ても、ひとつの花が咲くのを国中でここまで待ち焦がれることはあまり例がないのだとか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、平安時代から現代まで続く、桜に魅了され続けて来た日本人の心に迫ります。

桜とともに生きてきた日本人

桜は、古来から様々な名歌に詠まれ、民衆の間で愛唱されてきた。

「世中(よのなか)にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」(在原業平、825-880年)

「世の中に桜などなければ、春は心のどかに過ごせるだろうに」という反語的な表現で、桜のことで落ち着かない心持ちを現している。

造幣局の通り抜けも開催期間はわずか1週間、それも満開の時期を選ぶために直前になるまで決まらない。「次の日曜日なら行けるが、天気はどうだろうか」などと、やきもきする心持ちは平安時代も同じだったのである。

「久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」(紀友則、850-904年)

陽がのどかに射している春の日に桜が咲いている美しい光景が目に浮かぶが、その桜の花は「しづ心なく」散っていく。「しづ心」は「静心」で「静かに落ち着いた心」を意味するそうだ。自分は、のんびりと静かに桜を見ていたいのに、そんな気持ちも理解せずに、桜の方はなぜ散り急いでいくのか、という口惜しい心持ちを詠んでいる。

のどかな春の日に咲き、しかしあっという間に散ってしまう桜は、日本人にとって人間の生と死の象徴であった。

「ねがわくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月(もちづき)のころ」

平安末期から鎌倉初期に生きた西行法師(1118ー1190年)の有名な歌である。「願わくば桜の下で春に死にたいものだ。釈迦が入滅した、旧暦2月15日の満月の頃に」という意味である。

西行法師は桜を愛し、約230首もの桜を詠った歌を詠んでいる。その桜の下で死にたい、という望みを果たすかのように、実際に2月16日に亡くなり、世の人々はその不思議に驚いた。そして西行法師を弔うべく、墓の周囲に桜を植え、山全体を1,500本もの桜で覆った。

桜の咲く前から、今か今かと心待ちにし、天気はどうかとやきもきし、咲いては喜び、散っては惜しむ。さらには桜の木の下で死にたいとまで願う。日本人は昔から桜の花とともに生きてきたのである。

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