清少納言が歌った逢坂の関。歴史を感じる滋賀県音羽山フォトレポート

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詳細な山行レポートが人気の無料メルマガ『私の出合った日本百名山』。今回は京都の街並みや琵琶湖を一望できる好スポット、滋賀県の音羽山のフォトレポートが届きました。清少納言や藤原定方ら有名歌人もこの地を取上げているんだとか。

展望とミツバツツジの花を楽しんだ歩き―音羽山

「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ(清少納言)」

小倉百人一首で好きな歌の1つである。

現代語訳は、「夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ(だまそうとしても、決して逢いませんよ)。[小倉山荘HPより]」である。

京都は山に囲まれた盆地であり、京都に入るにはトンネルを通るか山を越えるかしなくてはならない。トンネルが掘られる前は山越えしか方法がなかった(この山塊地下にはJR東海道本線、JR東海道新幹線、名神高速道路などが通っている)。

東から山を越えるには、かつてこの逢坂峠を越えたのだ。そして、ここに関所を設けて京の都を守ったのである。藤原行成の言い訳に対し、「逢坂の関」使っての清少納言の返歌はさすがである。

そんな逢坂の関があった逢坂峠を見ることができる登山口から音羽山に登る。

今朝、大文字山から蹴上に下り、静岡に帰宅する夕方までまだ時間があったのでこの音羽山に登ることにした。京阪大津線蹴上から電車に乗り、大谷駅で下車する。

駅は無人で、自動改札は壊れているのか、切符を入れることができなかった。私と一緒に下りた方々も困っていた。

駅のすぐ前には「蝉丸神社」があった。ソメイヨシノが満開に咲いている。標識はないが、そこから音羽山に登るのだろうか…。「東海自然歩道」だから、標識がないとは考えられないし…。そんな事を考えながら東方向(大津方面)に進んで行く。

そこでは国道1号線と合流し、そこの歩道橋には「東海自然歩道 逢坂山歩道橋」と書かれている。地図を見てもそう書かれているが、こちら側から山に上がり、歩道橋を通って1号線(逢坂峠)を南側に渡るのである。

通行止」とある。

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スタート地点の「逢坂峠」が不通とは

「逢坂の関は通してくれないのか…」と大谷駅の改札口で通れなかったのと2回目の「だめよ、だめだめ」である。

じゃあ、少し戻ったところを登ってみよう。

急坂を無理矢理登って行くと、「蝉丸神社↓、音羽山→」という標識がある。しかしトラロープで通せんぼをしてある。斜面が台風などで崩れてブルーシートを覆い、通行止めにしてあるのだろうか…?

ブルーシートの上を歩き歩道橋を渡る。渡りながら国道1号線を見ると、登山者が1人道路を渡り山の方に入って行った。そこから登るコースもあるのかもしれない、と思いつつ1~2分ほど進むとそちらに踏み跡が付いていた。その先はよく歩かれたなだらかな登りが続いている。展望のない灌木の中を快適に歩いて行く。

大文字山と同じでミツバツツジが満開である。

このコースもミツバツツジが多い

このコースもミツバツツジが多い

アップダウンもそれほどないし、ミツバツツジのピンクのかわいい花を見ながらのウォーキングである。

やや古いが「東海自然歩道」という太い標柱もある。東海自然歩道のコース上はよく整備されているはずであるから安心して歩ける(なぜ、大谷駅周辺には表示がなかったのか、今でも疑問である。私が見落としただけか…)。

植生が植林のよる杉林に変わった。木を模したコンクリート製の手すりも付いている。木の段が付けられていたが、やがてそれは自然石を並べた段になった。

歴史を感じる石階段

歴史を感じる石階段

やがて琵琶湖と大津方面の街並みが見えてきた。数年前に京都市内のホテルが満室だったので大津に泊まったが。大津も歴史が残る良い所であった。私を含めて多くの人が京都、奈良…と有名なところしか頭にないが、周辺でも結構たくさん歴史が残っているものである。

>>次ページ 音羽山頂上からの抜群の眺望

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