温泉のプロが暴露する「源泉かけ流し = いい温泉」ではない理由

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いつも温泉について独自の目線で様々な裏話を紹介してくれている、メルマガ『『温泉失格』著者がホンネを明かす~飯塚玲児の“一湯”両断!』の著者で元「旅行読売」編集長の飯塚さん。飯塚さんは自書「温泉失格」の中で、温泉業界にはびこる「源泉かけ流し偏重主義」に疑問を投げかけてきました。今回飯塚さんは、この発言で温泉業界から「誤解」を受けていると語っています。果たして飯塚氏が考える本当に「質の高い温泉」とはどのようなものなのでしょうか?

「温泉の質と温泉施設の質は別もの」

僕は『温泉失格』などという奇抜なタイトルの本を出していて、その内容が、かなりおおざっぱに言えば「源泉かけ流しであればすべてよいわけではない」というものだもんだから、これまでもかなりの誤解を受けてきている。

正直なところ、拙著をきちんと読んでいただければわかると思うが、この「源泉かけ流し」と、一般的に対比される「循環ろ過消毒」というものは、あくまで温泉の提供方法の違いであって、二極化して論ずるものではない。

僕個人としては、清潔感さえ担保されているのであればかけ流しに勝るものはないと思うし、逆に湯量や利用者数、規模その他のさまざまな理由によって循環ろ過を選択し、そのために消毒が必須となることも否定はしない。

もっとも、拙著では「源泉かけ流し原理主義者」を否定していることは確かで、それは様々な事情をまったく無視して、一方的に「かけ流しであればエラい」「かけ流しでなければ意味がない」と声高に叫ぶ人々に、真実を知って欲しいという思いからだった。

その「様々な事情」に関しては拙著で事細かに触れているので省略するが、要するにベストであるはずの「かけ流し」を採用しないのは、何らかの理由で「できない」からであって、その結果として「温泉の質」よりも「温泉利用の事情」が優先されたというわけである。 むろん、その事情(いわゆるところの「大人の事情」)について、闇雲に否定する気は毛頭ない。

「かけ流しはすばらしい」と思う一方、「かけ流しでなければ意味がない」とは思わないというのが、拙著で書きたかったことである。

ただ、「温泉の質」だけにこだわってみると、これは湯量と浴槽の大きさ、利用人数、清掃頻度などのバランスが取れた「源泉かけ流し」がベストであるという意見を否定する気もないし、むしろその通りだと思う。

ただ、こうした意見が表に出過ぎてくると、その反発として「かけ流しだけがすべてではない」という意見が出てくる。

これを代弁したのが拙著だろうとは思うが、「かけ流し」と「循環ろ過」を比較するときに、最重要なのは衛生面である。

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