日馬富士事件、法律より強い「横綱の正義」なんてあるのだろうか

 

ここ最近、複数のメディアがトップ扱いで取り上げている「日馬富士の暴行問題」。これを受け、メルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』の著者で中部大学教授の武田先生は、「単純な暴行事件を複雑化している」とマスコミに苦言を呈しています。日馬富士が貴ノ岩を殴った後にとるべきだった4つの行動とは何でしょうか?

日馬富士事件と日本(1) 日馬富士は殴った後、どうするべきだったか?

「暴行=違法」の法律よりも「殴るべきだった」論理が目立った事件

横綱・日馬富士が平幕・貴ノ岩を殴って重傷を負わせた事件は、既にテレビでイヤというほど報道されましたが、いずれの報道も歯切れが悪く、この単純な事件をできるだけ複雑で、論理的では無い方向に持って行っているように思われます。

事件は単純な暴行事件で、抵抗しない相手に素手と凶器を使って頭に10針縫うまで殴り続けたというものです。まずこの事件を「倫理法律」の面から単純に整理してみます。

日馬富士は自分の後輩が、大横綱である白鵬がお説教をしている時には、神妙に頭を垂れ、相手の目などは見ずにひたすら恭順の様子をして、時には「すみません」ぐらいは言う必要があると考えていたようです。

だから、貴ノ岩が不真面目な態度で聞き、さらに女性からメールが来たので、それを見ていたというに及んで感情が抑えられなくなり殴りかかったとされています。相撲協会の中間報告では、「(貴ノ岩が日馬富士を)にらみ返したり、せめて「すみません」と言っていたら暴力はなかった」と感情的な表現をしていますが、事実としてはそうだったのでしょう。心の中はどうであれ、お説教を受ける時には大人しくしていろと思っていたと推定されますし、まして日馬富士は貴ノ岩が批判されていることを知っていて、それをカバーしようとしていたので、余計にカッとなったとも思えます。

このように、他人から見ると「あんなに殴るなんて」と思っても、当の本人は「正義」と思ってやっていることが多いのです。たとえ殺人でも、「こいつを殺すことが正しい」と信じて、殺してしまうことは普通にあることです。人は「自分が正しいと思うことをする」からです。

でも、社会を構成する一人一人にはそれぞれ考えがあり、必ずしも同じではありませんので、「自分が正しいと思ったことをしても良い」とすると社会が混乱します。そこで、昔は王様、今は国家などが代表して「みんなでこれだけは守ろうという規則を決めます。それが「法律」です。

このほかに「倫理」というのもあり、「法律で決めるほどでは無いが、人間としてやらない方が良い」ということを考える分野ですが、今回の日馬富士事件は倫理が登場してくるほどは難しい事件ではありません。

「日馬富士は殴るのが正義と思った」「法律は殴ってケガをさせると傷害罪に問われる」、という二つの相反する事が起きたら必ず法律を優先するというのが決まりで、すでに紀元前400年にソクラテスがその原理を獄中で「悪法も法なり」といって確定しています。

だから議論するまでも無く、日馬富士の行動は違法であり、一方的に批判されなければなりませんし、「にらみ返した」とか「謝らなかった」などはまったく無関係のことです。何があっても法律に違反することは許されないからです。

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