日馬富士事件、法律より強い「横綱の正義」なんてあるのだろうか

 

暴行直後、日馬富士がとるべきだった行動とは?

また、相撲の世界ではある程度の暴力は許されていたから、このぐらいは…という発言をする識者もいましたが、これは逆転している考え方で、「普段から暴力が許されている」ということはこの日本では「法律的に許されていないこと」で、「法律で許されていないことが通常行われていたから許される」などは屁理屈にもなりません

日本社会には「暴力団」という「反社会的組織」があり、人間の本性や歴史的事情から特に集団として許されていますが、その代わり「暴力団対策法」によって、関係者は銀行預金ができなかったり特定の職業に就けなかったりと日本国憲法に定められた権利も行使できないようになっています。法治国家にお目こぼしはないのです。

まして、相撲は神事で、横綱は神様を意味するしめ縄をつけ、相撲協会の横綱審議委員会が「人格実力ともに普通の人より格段に優れている」と認定しています。だからもともとは法律を犯すなど考えられない人の一群が横綱です。

日本のスポーツは昔から文部省(現在は文科省)が所管しており、経産省ではありません。つまり、日本人はスポーツ人間が成長する一つの方法であり、「道」と考えていて、単にお金、収益、契約金などの経済ではなく、人間の力、美、人格として見ていることを示しています。その中でも相撲は特に神事として英語のスポーツとしてだけではない面を多く持っているのはいうまでもありません。

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