盛り上がりを見せた平昌五輪が閉幕し、早くも「平昌五輪ロス」になっている人も多いのではないでしょうか。しかし背後にはそんな多くの純粋な庶民の気持ちを金儲けに利用しようとしている人たちもいるようで…。米国在住の作家・冷泉彰彦さんが、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、マスコミが絶対に報じない「五輪の存在意義」について詳述しています。
国家というサーカスと五輪というビジネス
平昌五輪が終わりました。アメリカでNBCを見ていると、あまりにも「アメリカ・ファースト」の報道で辟易する感じでした。ここ10年ぐらい、こうした傾向は強まっていたのですが、改めて、いかにも「トランプ時代」という感じです。
男子フィギュアでは、あくまでリッポン選手が主役で、羽生選手は紹介だけ、宇野選手に至っては「ガラ・エキシビション」の地上波放映ではカットされていたのです。女子に関しても、ロシアの2人にはとりあえずスポットライトを当てていましたが、あくまで米国の3人が中心でした。
そうした「自国中心主義」が嫌な人は、地上波(に等しい三大ネットワーク)のNBCではなく、ケーブルのNBCスポーツチャンネルか、あるいはストリーミングへ行ってくださいという運用がされていました。
こうした扱いというのは実に象徴的と思います。庶民階層には「国家というサーカス」を与えて行き、そこにマスのマーケティングを重ねて行くというビジネスモデルです。実際の経済とか最先端技術というのは、どんどんグローバル化しているのですが、とりあえず階層が下がると国境の壁が上がり、内向き志向の中で「国家というサーカス」が売れて行くという仕掛けです。