甘利氏「涙のサプライズ辞任」を美談にしたがる異常事態

 

しかも、文春の記事には14年2月1日の大和事務所における非常に重要なシーンが描かれている。

(一色の発言)「10時半を過ぎたころ大臣が現れ、挨拶をすませると、所長(清島)が、『この資料を見てください』と言って、私のファイルを大臣に手渡したのです。真剣に目を通していただき、…大臣は『一色さん、ちゃんとやってるんだね。わかりました』と言い、所長に『これ(資料)、東京の河野君(現・大臣秘書官の河野一郎氏)に預けなさい』と指示しました」

URとの補償交渉資料を甘利に見せ、甘利は「わかりました」と言い、大臣秘書官に渡すよう指示、そのうえで現金50万円を受け取っているのである。この時の甘利の声が録音データに記録されているとすれば、政府内における影響力からして、あっせん利得処罰法違反の疑いが濃くなるのではないだろうか。

秘書はURの担当者と12回も会っている。黒塗りだらけの12回分の記録を公開してURは「口利きはなかった」と言っているが、オモテに出ている会話ですら、甘利事務所からURへの圧力が感じられる。たとえば「少しイロを付けてでも地区外に出ていってもらう方がいいのではないか」という秘書の発言は、もっと立ち退き料を払ってやれよ、という意味に受け取るのが自然だろう。

甘利は大臣辞任表明を次のような言葉で締めくくり、涙をにじませた。

「閣僚のポストは、重い。しかし、政治家としてのけじめをつけること、自分を律することはもっと重い。政治家は結果責任であり、国民の信頼の上にある。たとえ、私自身は全く関与していなかった、あるいは知らなかった、従って、何ら国民に恥じることをしていなくても、私の監督下にある事務所が招いた国民の政治不信を、秘書のせいと責任転嫁するようなことはできません。それは、私の政治家としての美学、生きざまに反します」

なんとカッコつけた言い草だろう。三文芝居のセリフじゃあるまいし。

情に訴える言い訳の前に、「現金を受け取ってしまったことが恥ずかしい」と、なぜ「自分を律する」ことができないのか。政治家としての「美学」がその程度なら、自己正当化の権化、安倍晋三とはやっぱり似た者同志というほかない。

image by: Wikimedia Commons

 

国家権力&メディア一刀両断』 より一部抜粋

著者/新 恭(あらた きょう)
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。
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